「BLOOD SNOW」
著者:蓮夜崎凪音(にゃぎー)



 剣は、軒先の薄暗く光るランプの光を照り返して、白く穢れのない雪の上に音もなくめり込んだ。
 微かに音はあったのだろうか、それ以上にこの場に残る剣戟の音の反応だけが鋭い。
 細かい雪ぼこりを含む風が、夜の間から吹き抜けてくる。
 髪留めを切り裂かれた金色の髪が、一度大きくばらけて風に舞う。

「…………終わりよ」

 一方の切っ先が、無様に膝を突いた男の顔面に迫る。
 持ち手の顔が、静かに口の端だけを歪めて微笑んだ。

「………終わりか」

 男は、静かに痺れた手を雪の上に落とす。
 粉雪にめりこんだ手は静かに、彼を受け入れてその熱に溶かされて行く。

「思ったより、あっけなかったわね」
「そりゃそうだろうよ。幼い頃から騎士としての剣術を学んできたお前と、いっぱしの傭兵崩れが戦っても、たかが知れてるよ」
 男は口の端を曲げて、へたくそに笑ってみせる。
「ッ!」
 女はその態度に、剣を構えなおした。
 漆黒の闇の中に浮かび上がる剣が、一度鍔鳴りを響かせる。
「じゃあ、なんでここにいるの?」
 明らかにいらだった感情を含んだ瞳。
 男は押し黙ったまま、目を逸らした。
「…………」
 遠いところから、剣のぶつかり合う音が風に乗る。
 まとわりつくように、町のいたるところで奇襲に対抗する笛の合図が鳴り響く。

 今までならありえなかった。

 追い詰められたとはいえ帝国が解放軍に夜襲を仕掛けることなど、格式と礼式の高い騎士団のすることでは到底ありえなかった。
 そのプライドを捨ててきた騎士たちの猛攻は、吹雪を伴って解放軍に襲い掛かってきた。現に男と同じ部隊八人は、ファイナ率いる部隊三人に斬って捨てられた。男たちもファイナ以外を切り捨てたが、二人目を倒したのは残る男ただ一人だった。
 おそらく、この戦況だと態勢は完全に崩れたままだろう。

 最強と名高い第一騎士団の中核を成す、ファイナ・ワーゲンドゥが目の前にいるのだから。

 男は剣戟を耳にして舌打ちをした。
 その顔の先に、剣の先が当てられた。
 彼女の顔には、明らかに戸惑いが見て取れる。

「答えろ、ローゼル・アイシュバイン!」
「答えたところで、なんになるんだ?答えたら見逃してくれるとでも言うのか、ファイナ」
 ファイナの戸惑いにつけこむようにして、ローゼルは彼女の目を覗き込んだ。
「………」
「まさか、騎士がたかだか解放軍に奇襲とは、帝国軍の名前が笑わせる」
「後々厄介な火種は消しておく、それが私たちだ」
「お前が俺を狙ってきたのは、偶然か?」
「………偶然だ」
「嫌な時代になったな」
「……馴染み通しが殺しあうなどとな」
 剣の先が、彼の顔から引いた。
「どういうつもりだ」
「殺される前に、早くこの町を出ていけ。軍はこの町を包囲しているが、突入して手薄な今なら突破が可能なハズだ」
「俺を、助けるというのか」
「…………」
 黒い鎧の騎士は一度深く息をついて、目を閉じた。
「一度お前に裏切られたが………それでも私は、お前を殺したくない」
「……そうかよ」

 刹那、騎士の体に幾本もの矢が突き刺さる。

「ッ!」
 剣を構えなおした時には、既に遅かった。
 壁の際から、闇から抜け出してきたような黒い装束の一団がローゼルの元へ集まりつつあった。
 揺れた炎にきらめくように、壁端から矢の先が光った。
 おそらくまだ隠れているのがいるのだろう。
「奇襲は速度が命だぜ?ファイナ」
「ロー……ゼル」
 ファイナは肩に突き刺さった一本を何事もなかったかのように抜きさると、見たことのない卑下た笑いの幼馴染の顔をにらみつけた。
 爆発的な感情が彼女の喉元を突き上げる。
 剣を拾い上げたローゼルの元へ、転瞬の後にファイナが飛び掛った。
 鎧の重量も、雪の積もる足元も騎士が戦うハンデにはなりえない。

 一度ローゼルの剣と打ち合わせた後、援護に来た黒い集団の一人の腹を切り伏せる。
 その前に五人を切り倒したとは思えない、紙を切り裂くような感触の後――――。
「ごあぁっ!」
 噴出した血が、ファイナの体を赤く染めあげる。
「はぁぁぁっ!」
 二人目に剣を振り下ろしたところで、背中に鋭い痛みが突き刺さる。
「ッ!」
 背中の矢に気をとられた瞬間だった。
「もらったッ!」

 ローゼルの剣が、ファイナを深く貫いていた。

 剣を深く差し込まれた傷口から、流れ出してゆく鮮血に、またローゼルの両腕が深紅に染まる。
「ッ………!」
 ファイナは声もないまま、剣を高く振り上げた。
 それを合図にしてローゼルの剣が、差し込まれたままで回転した。
 臓腑が、内側から切り裂かれてゆく。

 こみ上げた血を思い切り彼の肩口にぶちまける。

「………ロ……」

 そのまま寄りかかるようにした後、剣を抜かれたファイナはローゼルを伝にして滑るように崩れ落ちた。
 流れ落ちる血が、雪を紅く溶かしながら広がってゆく。
 一度二度荒い呼吸を繰り返した後、微かにもれる白い息を雪上に残して、彼女は動かなくなった。

「ローゼル、無事か」
 壁際で弓を構えていた男がローゼルの元へ駆け寄った。
 剣に付いた血糊を一度振り払った後、ローゼルは無言で頷いた。
「………良かったのか?」
「どのみち、コイツだったらこうなってた」
「…………」
「それなら………」

 静寂の中を、統一された警笛の音色がどこまでも遠く、高く響いていく。

「行こう。ここで仲間を減らすわけにはいかない」
 ローゼルは少しずつ、雪の上を歩き出した。
「………ああ」
 男もまた、ローゼルの後に続く。

 紅く染まった足跡が白い雪の上に二つだけ、剣戟と警笛のなる闇の中へと消えていった。




[終]