【短編小説】

退屈に殺されるその前に



 歩くだけなら要観察、走ろうものなら非常事態。階段を登れば喘息発症、日向にいれば熱中症。
 ハッキリ言ってしまえば、私の体は欠陥品。五体満足ではあるけれど、中身はかなり壊れている。

 酸素缶と発作を抑える薬は必携だし、もし肌身から離してしまったら命の保証はどこにもない。
 こんな私が学校で生活を送るのだ。保健室のお世話にならない日なんて数えるほどしかない。

 保健室には友達がいないし、寝ること以外やることもないから退屈だ。
 体育の時間はいつも暇。他の授業だって喘息が出ればすぐに保健室送り。学校にいる時間のうち三分の一は保健室にこもっているから、いい加減退屈に殺されてしまいそうだ。

 そんな私を見かねたのか、クラスメイトが差し入れを持ってきてくれるようになった。
 最初は花だったりお菓子だったり生徒の個人情報リストだったり……嬉しくはあるけれど暇つぶしにもならない差し入れが多かった。だからハッキリと言った。

「どうせ差し入れをくれるのなら、もっと長時間にわたって退屈をしのげるものがいいわ」

 そこから差し入れは全て「本」になった。
 ワンパターン、と文句は言わない。
 花よりもお菓子よりも犯罪に片足を突っ込んだファイルよりも、みんなが持ってきてくれる本の方が時間を潰せる。ようは退屈じゃないものであれば、なんだって良かった。

 保健室のトビラが開く。

 今日の差し入れは何かしら……そんな期待に胸を膨らませながら、ベッドから起き上がって、髪を手櫛で整える。


【園芸少女からの差し入れ】

 彩葉ちゃんの趣味はガーデニング。そのため図書館で借りる本の大半は園芸書や百科事典だったりする。

「今日は薔薇の百科事典もってきたよ!」

 当然差し入れも花絡みの本が多い。

「すごい厚みね。殴り殺せそう」

 カバンに入りきらないその本は、広辞苑とほぼ同じ厚さだった。持っているだけで筋トレになりそう。本を持って歩くと他殺以前に(私にとっては)自殺行為になるかもしれない、それくらいのボリュームがある。前ページカラー印刷。値段が高そうだから、図書館の本だと思う。綺麗な表紙が借りる人の少なさを語っている。

「薔薇ってさ、十万くらい品種があるらしいよ」
「この本に十万種も載っているの?」
「ううん、これに載ってるのは三万種くらいじゃないかな」

 それでもすごい量だ。ページをめくると大輪の薔薇が現れた。
 シミひとつない綺麗な花びらが重なりあって一つの花を形成している。見たことのない品種だ。薔薇の辞典じゃなければ、薔薇だと気づかなかったかもしれない。

「薔薇ってこうして見ると綺麗だけど、花びらの裏に虫がいたらって思うと好きになれないのよねぇ」
「全てに潜んでいるわけじゃないよ」

 口に出してしてしまうと、写真の中で咲いている薔薇が蠢いているように見える。

「そもそも、理科の教科書で気孔の顕微鏡写真を見た瞬間に、全ての植物が嫌いになってしまったというか。……あの唇みたいな穴を触っているとは思いたくないわよね」
「触らなければ問題ないよ」
「……眺めるだけなら綺麗ね」
「でしょう!」

 彩葉ちゃんが嬉しそうに写真を覗きこんできたので、私もそれ以上は何も言わなかった。


【文学少年からの差し入れ】

 聖くんのマイブームは推理小説だ。謎解きの前にトリックを見破るのが好きだというくらいだから、マニアの域に達していると思う。過去に一度聖くんと推理ゲームをしてみたけど、頭が痛くなるだけで次もやりたいとは思えなかった。探偵の素質はないらしい。

「今回の推理小説はマイナーだが、トリックが斬新」
「現実的に可能なトリックなの?」
「現実は無理。残虐なシーンが多い。狂気的なミステリー小説」

 聖くんは現実的なトリックが好きだけど、こうしてときどき守備範囲外のものを差し入れてくれる。

「あら、それは面白そうね。表紙もえぐくて素敵だわ」

 目玉から血を流した男が膝をついて両腕を伸ばしているリアルな表紙絵だ。伸ばされた腕は傷だらけで、指が一本地面に落ちている。こういった血なまぐさい絵を見ると心が弾む。

「水崎の好きな満身創痍の人間も出てくる」
「全身擦り傷だらけ?」
「擦り傷以上の怪我だが病院には行かない」

 怪我をして病院で手当をしてもらう主人公よりも、自力で治療する、もしくは医者ではない第三者の人間が治療をする。そういった展開が好みだ。私だったらこうやって治療するのに……、そんな想像をすることが好き。聖くんはその辺りのツボをよく理解してくれている。

「楽しみだわ。ありがとう」
「…………どういたしまして」

 ただ、引き気味なのはどうしてだろう。


【腹黒少年からの差し入れ】

 優希くんは犯罪予備軍で、個人情報の収集家でもある。

「ずいぶん退屈そうですね」
「暇つぶしの本でも持ってきてくれた?」
「当然です」

 そんな人だからこそ、差し入れしてくれる本も真っ黒に染まったものが多い。

「……人を裏から操る実践心理術」
「人ってこういう状況に陥ったらこんな行動するっていう統計があるんです。それ、事細かに書かれていますから参考になりますよ」
「参考にするのね」

 なんの参考になるのかは、あまり聞きたくはないけれど。
 優希くんが差し入れてくれる本は新書が多くて、読み終わるたびに無垢な心が闇に落ちていくような気分になる。ちなみに前回の本は「悪徳商法の裏話」だった。参考にすれば私は晴れて犯罪者になれるのかもしれない。この欠陥品の体が刑務所暮らしに耐えられるとは思えない。

「……言っておくけど、えぐい小説好きな人に非難されたくないですからね」
「非難はしていないわ。気をつけようと思っただけ」

 優希くんに。


【サボり魔からの差し入れ……?】

 サボり魔である陽介くんにとって保健室は楽園だった。
 仮病と言う名の病のもと、保健室のベッドを占拠していつも眠っている。ただし今日は椅子に座って物思いに耽っているようだった。ちっとも動かない陽介くんを見ていても、全然おもしろくない。

「退屈だわ……」
「寝りゃいいだろ」
「退屈なことに変わりないわ。何か本持っていないの?」
「んなもん読むようなツラに見えるか」

 全く見えない。筋金入りの面倒くさがりな彼が黙々と活字を目で追いかけるだなんて、私が短距離走をして平然と立っていられるようなものだ。つまりありえない。

「……退屈だわ。本を持っていないのなら、話し相手になってよ」
「めんどくせぇよ」
「もしくは怪我してきて?」
「本当ろくでもねぇな」

 他人の怪我の治療ほど楽しいことはないのに。
 期待をこめた目で陽介くんを見つめたけど、彼が面倒くさそうに出してきたのは理科の教科書で、ちっとも面白くない。

「まだ家庭の医学を読んだ方が有意義ね」
「あるんじゃねぇか」

 そう、家庭の医学や医療大百科は保健室に常備されている。けれど

「もう五周目なの。退屈だわ」

 読み飽きたから、差し入れを待っている。

 退屈な時間、無意味な時間、そんな時間を有意義なものに変えてくれる個性的な本を、私は今日も待っている。


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