「ストライキ」
著者:蓮夜崎凪音(にゃぎー)



「私、今日ただいまをもちまして、妻の役職をストライキさせていただきます」
 日曜日の昼下がり。昼ごはんを食べ終わってようやく一心地ついた頃だった。
 僕は一瞬、妻の沢渡志津が何を言ったのか理解できなかった。言葉があまりにチグハグだったこともあるけど、第一、ストライキはそんな使い方しないだろう。
 ただ、彼女の目は普段と違っていて、それを冗談で笑い飛ばせない力を放っていた。居住まいを正し、行儀良いのかどうかは別として、ソファーにちょこんと正座までしている。
 これは、かなりの改まった本気と見ていい。
「えーと………いきなり、なに?」
 そういいながら、とっさに二人の誕生日と結婚記念日を思い出す。うん、覚えてる。大丈夫。最近特にケンカした記憶も無いし、頼まれた家事は出来る限りこなしてる………つもりなんだけど、最近忙しくてまともにやって無い気がしてきた。
「純くん、最近忙しいじゃない?」
 じとり、と恨めしげな目が僕を見る。やっぱりそのことだった。確かに先月は忙しかったのだ。帰ったら日付が変わっていることも珍しくなかったし、先週は風呂と御飯だけ済ましに帰って来てたようなものだった。
「まあ、でも先週で終わったから、今週からは………」
 だいぶ暇になるよ、と言う前に、志津は後ろからがさごそと、何かを取り出し始めた。
 一瞬、「離婚届」の文字が頭によぎったけど、忙しくて帰りが遅くなりすぎたからと言って、何もそこまで言う彼女じゃないはずだ………多分。
「だからね………あのね、これ」
 志津にずいと差し出されたものをおそるおそる見る。小さな紙が、一枚。見覚えのあるこの形。
「………チケット?」
「うん、新聞屋さんにもらったの。これ、明日まででね」
 チケットを受け取って、内容を確かめる。
『従来の四倍!このスペシャルなボリュームと魅力満点の味は今だけ!』
 今時流行らなさそうな売出し文句は、駅前にだいぶ前からある謎の喫茶店「サンライズ」のものだ。年に数回配られるけど、この妙なセンスのキャッチコピーは一体誰が考えてるんだろうと思う。
「そこの、ジャンボシュークリームパフェが………その」
 もじもじと、言い出しづらそうな声で志津が視線をそらす。どうせ多分、ずいぶん前に言った「子供っぽい」ところを相変わらず気にしているに違いない。
 良く見ると、手渡されたチケットの下の方が、少ししわくちゃになっていた。僕に面と向かって正座までして告げるのに、だいぶ時間が掛かったのだろう。というより、僕がいなかったので言い出せなかったというのが正しいところか。
「少しは息抜きとか………ね?」
 息抜きも何も来週からは暇になるのだが、あえてもう何も言わないことにした。
「志津」
「はい」
「ご飯食べたばっかりだから、パフェは少し時間を置こうよ。お腹を空かせなくちゃ」
 一瞬、間が空いて、彼女は正座からすぐに立ち上がった。その間にも、あっと言う間に表情が変わっていく。
「じゃ、駅前がいい。私、着替えて来るね」
 飛び出すように寝室へと駆けていった彼女の姿は、確かに妻のものじゃない。
 あれは付き合い始めた頃の、やたらと元気のよいバスケ部の少女だ。


 玄関の鍵をかけて、志津が振り向いた。
「では、参りましょう」
「了解」
 心なしか声が弾んでいる志津と並んで歩き出す。
「あ、そうだ」
「なに、忘れ物?」
 少し非難の混じった目で、志津が僕を見上げる。僕は笑った。
「違う違う」
「じゃあ、なに?」 
「これがストライキってことは、いつか終わるの?」
 少なくとも今日中には終わってくれないと、少なくとも朝食と夕食を彼女にまかせっきりの僕は、月曜日の朝食が食べられないことになる。
「さて、それは純くんの今からの頑張り次第じゃないかな?」
ストの交渉に成功した彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべたまま、小首をかしげた。





[終]