long7-1

『ねぇ、アナタ、どうしてそんなに淋しそうな目をしているの?』
「マダム、僕のこの淋しさの理由を聞いて下さるのですか?」
『勿論よ。是非聞かせてちょうだい。語る事で、聞く事で、人はその心を分け合うものよ。アナタの淋しさ、ワタクシが幾許か引き受けさせていただきたいの』
「この汚れた僕なんかを相手に、そんな事を仰って下さるのはマダム、アナタが初めてです! あぁ、なんと嬉しい言葉なのでしょう! その言葉だけで既にこの心は救いの光を見出す事が出来そうなのですが・・・、あぁ、マダム、そのお優しきお言葉に甘えても宜しいでしょうか? 僕の淋しさの理由を、語っても宜しいでしょうか? 僕は、僕は・・・、とても、とても淋しいのです。最早耐え難いほど、淋しいのです! 何故ならば僕には、ただ一人も友と呼べる者がいないのです! ただの、一人もです!」
『まぁ! それはなんと哀しい事でしょう! そんな哀しい事があるなら、アナタがそんなにも淋しそうな目をしているのも分かります。えぇ、分かりますとも! ・・・でも、それでしたらこうしたら如何かしら? 今日から、ワタクシがアナタのお友達になるのです! そうすれば、アナタがもうそんな淋しげな目をすることはなくなりますわ!』
「あぁ! マダム、アナタはなんてっ、なんて素晴らしい人なのでしょうか!」

──そこは、狭く、薄暗い、真四角の小屋の中。寒さと、暗さと、淋しさだけを詰め込んだ箱のようなその中で、声色を変えて一人二役を演じている演者に、声をかける者はいない。逆に、演者が声をかける事もない。誰も、いないのだ、その場所には。演じる演者と、他は・・・、その両手に掲げられた、もう一本の腕、二役目を務める『彼女』以外には。
『彼女』は、その、『腕』は、優美な曲線を持ち、長い指先を薄い玻璃のような爪で縁取られた、細く、白い『腕』だった。白く、とても、白い。色をつけるべき血を一滴も持たぬ白。『腕』だけの『彼女』、沈黙を、永遠の沈黙だけを持って。
それは、『彼女』が人形遊びの主役として切り取られた、翌日の夜の事だった。


**********


我が人生に悔いなし、なんて言う奴は、マジ、死刑になれとか思っている今日この頃。
・・・人生に不満がない奴なんて絶対にいないと思うし、だからつまりはそれって、多少の不満は皆飲み込んで生きていくべきだって事だと思うし。まぁ、だから、つまり・・・、何の不満もない人生が送りたいとか、そういう届きもしない高望みがしたいってわけじゃない。不満の一つや二つや十や二十、全然余裕で飲み込める。
けど、そんな大らかな心を持ってすら、自分の人生は恵まれてないと思うのだ。思う、というか恵まれてない。しかもその原因が、遙か昔の、名前も性別もはっきりしないような先祖がしでかした不始末の所為だっていうのだから、不運極まれり、という感じだ。何したかすら既にはっきり残ってないのに、『不浄の一族』だなんて愉快な名称がついている。
納得は、いかない。もう十四年と少し生まれてから経つが、それでも納得してない。
ただ、納得はしてないけど諦めたし、受け入れた。誰も話しかけてくれないのも、誰にも話しかけられないのも、誰もが眉を顰める仕事を家業とさせられているのも。別に、もういいと思う。思うけど・・・、そんな大らかな諦めで人生を送っている自分ですら、どうしても許しがたい不満があったりするのだ。どうしても、そう、どうしても。
「あー、盛るよ、盛るよ、盛っちゃうよ」
殆ど口の中だけで消えてしまうような小さな声ではあるけれど、それでも自作のこの歌が歌えるのは、家に一人でいる時か、作業している時だけだ。今のように。他の時に声なんて出せば、汚れがどうした、なんて小言を呟かれるか、吐き気を催しているかのような強ばった顔を拝む羽目になってしまう。流石にそれは勘弁願いたいので、他に人がいる時には絶対に声を出さない。勿論、歌なんて以ての外。
「盛るなって言っても、盛っちゃうよん。盛るよ、盛るよ、盛っちゃうよ」
でも、今は一人。絶対誰も近づいて来ない。何故ってお仕事中だから。誰も・・・、関わりたがらないお仕事が、誰も話しかけない『不浄の一族』の家業だから。誰もいない。だから仕事が捗らなかった事は今までの人生で一度もない。それは多分、前の代の人もそうだし、その前の人もそう。仕事が捗らなかった人なんて、きっと一人もいない。皆、絶好調に仕事をしてた。仕事人間をしていた。
死刑場の管理と、死体の処分を、飽きることなく、放り出す事も出来ずに延々と。
ちなみに、現在進行形でやっている仕事は、土壇場作りだったりする。これ、家業の中でも結構重要な比重の仕事。土壇場って言っても、追い詰められてギリギリの人の状況を示しているわけでも、そういう状況を作り出す仕事ってわけでもない。そのまんま、本来の意味での土壇場。
つまり、死刑になる人を転がしておく為に、土を盛って形成する壇のこと。今日も死刑囚が首をちょっきんされる予定なので、そいつを転がす為の、転がして首をちょっきんする為の壇を形成中って事。
そこまで自分の中で問答をして、ふと手を止めて見下ろすと、すぐ目の前には長方形の土の壇が姿を現し始めている。綺麗な、長方形。高さも踝くらいの、首をちょん切るにはちょうど良い高さに・・・、壇。自慢じゃないけど、歴代最高の腕前だと思う。自慢できないのもアレだけど。
「完成」
周りの飛び散ってしまった土を片して、三歩離れた場所から全体像を確認し、他の三方向からも確認しての呟きは、我ながらかなり満足げだった。思わず、自分で笑ってしまいそうなくらいに。もしかした本当に少しだけ笑っていたかもしれない。まぁ、別にそれでも別にいいけど。どうせ誰も見てないんだから。誰も、見ないんだから。
二つ、馬鹿みたいに頷いてから、お片付けの時間に入る。土は片付けたから、後は道具のお片付け。先祖伝来のこだわりのお仕事道具を作業袋に突っ込んで、肩にかけてから周りを見渡すと、物凄く良いタイミングで少し離れたところに人影が見つかる。既に見慣れている人々。皆、自分と同じような一族。遙か昔に罪を負って、誰もやりたがらない家業を持つ人達。今日もその家業通り、死刑囚を連れて来ている。
そして、ちょっきんとやるのだ。
近づく人達に軽く手を振って合図。もうこっちの仕事は終わりましたよ、の合図。でも了解しました、という合図が返ってきたことはない。それどころか、何の合図も返ってきたことがない。これは結構不思議な事だと思うのだけど、何故か首をちょっきんする家業より、ちょっきん台、つまり土壇場を作る方が『汚れた』一族、家業だと思われているらしく、他の一般人と同じように、アイツ等もこっちと関わろうとしない。
絶対同じようなモンだと思うのに、ウチの一族の前だと、さも自分達は一般人と同じです、みたいな態度を取ってこっちを無視するのだ。理不尽だと思う。不可解だと思う。不愉快だとも思う。・・・けど、まぁ、慣れたからどうって事もない。
でもどうなんだろうね? こういうのって、と今更な疑問を抱きながら歩き続けること、十数分。目の前に迫る小屋のような、それでいて何処か堅牢な小ぶりの建物まであと少し、というところで微かに聞こえてきたのは、定番の雄叫び。・・・もとい、悲鳴。
さっきは良く見ていなかったけど、今回は男だったんだぁ、なんて感想にも満たない感想を数秒だけ零しているうちに、気がつけば目的地にご到着。中に入る前にすぐ側にある納屋に道具が入った袋を納めながら、頭の片隅で『あとであの悲鳴を上げていたモノも含めて、お片付けに行かないとな』、なんて家業持ちの一族の鑑みたいな事を考える。如何なる時も自分の職務を忘れない、とても、とても立派な行動パターン。だって、お片付けまでがお仕事だから。あぁ、なんて立派なんだろう?
自画自賛、むしろ自画絶賛。でもこんな絶賛をしていると、まるで哀れで不幸な人間みたいに見えそうだけど・・・、ただ、他人と話をする機会なんて年に数回しかないので自分と他とを比較する事がいまいち出来てないけど、それでも毎日自分なりに楽しく過ごしていると思う。
不満はある。勿論、ある。それでも人生に悔いがないとほざくほど頭のおかしい人間じゃなく、色々一応わきまえている身としては、その不満も含めてそれなりに楽しい人生を過ごせているという自負めいたものがあったりもするわけで。
・・・だから、そう、本当に。
道具をしまった納屋から出て、納屋より少しだけ大きめな程度のすぐ側にある我が家に戻るか、それとも自宅より大きく、尚且つ近い、すぐ脇にある建物に向かうかほんの少しだけ迷ってから、特に意味もなく近い方を選んで歩きながらふと流した視線は遠ざかった作品を掠める。完璧な、仕事ぶり。でも、すぐさま無残になる作品。

「崩さないでほしいんだよね、マジで」

たった一つの、明確な不満。呟くのは、完全な自分のテリトリーに入ってから。つまり、小屋への木戸を既に意識しない動作で開けて、同じく意識しない足取りで中に入って、やっぱり意識しない手つきで後ろ手にドアを閉めてから。小さな窓からは赤い夕日の色。まだ灯りをつける必要性は感じない程度の薄明かりの中で、ドアのすぐ側にもう化石みたいに置きっぱなしになっている低いテーブルに腰を掛けてようやく漏らす、独り言。
今日は、漏らした独り言が良く響く。昨日まで叫び続けていた住人は今頃ちょっきんされているし、今のところ他に誰も入れられていないらしく、叫び声も啜り泣きも唸り声も聞こえないから、とても、とても響く。他の独り言がないから、とても、とても。独り言・・・、そう、独り言の小屋だ、ここは。自分の意志以外で死ぬことが決まっている人間は、皆、独り言しか言わない。
だから、ここは自分のテリトリー。口を利く事を望まれてない一族ですら、他に誰がいても独り言を漏らして良い場所。皆、独り。誰にも邪魔されない、楽しい独りぼっち。

「それって、何の事言っているの?」
「・・・は? え?・・・、あ、え? なに? ってか、誰? いた、の?」
「いるいる。さっき入れられたの、俺。誰って・・・、なんだろ? とりあえず、七三二? 三だったかな?」
「・・・七三一号、だよ。今、首ちょっきんされてるのが七三〇号だから」
「あー、そうなんだ。まぁそれはいいけど・・・、で? さっきの、何言ってたの? ってか、キミ、名前は?」

真っ正面、だった。ソイツが入れられていた牢屋は。他に二つある牢屋のどれでもなくて、真っ正面に、いたのだ。それなのに、全然気づかなかった。気配がないとかじゃなかったのだと思う。
ただ、『死刑囚』としての気配はなかった。他人の手で死ぬ事が決まっている人間は、絶対にそれ特有の気配があって、それを生まれた時から感じ続けている専門家みたいなものである自分が、その気配を見逃すはずは絶対になくて、それなのにソイツに気づかなかったということは、ソイツに『死刑囚』という気配がなかったからで。
薄暗い牢屋の中、石畳の床に直に座り込んでいるのは、同じ年ぐらいに見える『少年』だった。薄い灰色の上下に、手足にお決まりの枷。けれど胡座を掻いているその様は何故か妙にさっぱりしていて、おまけに・・・、その顔に、爽やかとさえ言えそうな笑みを浮かべている、『少年」が。
さっき入れられたという、今現在この場所のたった一人の住人は、その前までの住人と違い、独り言ではない、他者にとっても意味のある言葉を発して、自分以外を映した目を真っ直ぐに向けていた。つまり、視線が合った。赤の、他人との視線が。互いの姿を、互いの瞳に映して。
真剣に、驚いた。暫し何の返事も出来ないくらい、何も考えられないくらい、何もかもを失ってしまったくらい、何もかもが溢れてしまったくらい、驚いた。何かに、ではなくて、たぶん、全てに、驚いていた。でも、もしもその中でたった一つだけ強いて上げるとしたら、一番驚いたのは・・・、

その眼差しが、さながら、これから先も行き続けると根拠もなく信じている、その他大勢と同じような色をしているという事だった。


**********


ダン、というのが、名前ということになっていた。
ちなみに、父親もダン、会ったことはないけど遠くの死刑場で働く、父親の年が離れた兄、つまり叔父さんもダンで、父が小さい頃に死んだっている父親、つまり祖父もダン。ただ、生まれつき皆が『ダン』という名前がつけられている妙な趣味の一族という意味ではなくて、これはある意味での渾名みたいなものだった。一族以外の人達は本名だと信じている、渾名。
この家業から取った、名。
『土壇場』作りの家だから、そこからとって『ダン』。なんて安直。だいたい読みは『どたんば』なのに、何で真ん中の感じだけ取って『ダン』なんだって突っ込みも入れたくなるくらい微妙な安直さ。そもそもどうして三単語の真ん中から取った?とかって思わなくもない・・・、けど、だからって『ド』とか『ドタ』とか呼ばれても語呂が悪すぎるし、『バ』とか『ンバ』とか意味不明な呼ばれ方をしされても困る。そんでもって、色々否定した挙げ句、名無しでは流石に虚しいし。

「そうだねぇ・・・、そうなると、やっぱり『ダン』が一番無難だったんだろうね。音読みで『ツチ』とか呼ばれても微妙だし」
「・・・まぁ、そうだけどさ」

確かにしょっちゅう土を運んでいるけど、だからって『ツチ』は嫌だ。尤も、そう呼ばれる可能性はそもそもあまりなかったんじゃないかとも思う。直接聞いたわけじゃないけど、所謂、一般的な人達は、運ばれていく土に物凄い悪いイメージがあるみたいだから。運ばれて、死刑囚の首切り台になる土。作り上げられる土壇場という完成形以上に、不吉なものを感じているらしいから。
まるで、罪そのもののように。死、そのもののように。馬鹿みたいだと思う。罪は運ばれてくるものではなく、犯すものなのに。
そこまで考えてふと我に返ったのは、黙っているはずなのに聞こえてきている、声の所為だった。「ダン、ダン、ダン・・・、うん、いいって、いい。いい感じ」等という、意味があるようでないような、意味ある、言葉。他人の、言葉。ぼんやりと何処かへ向けていた視線を意識的に向かいに投げつけると、そこには当然、他人がいる。なんだかやたら楽しげで嬉しげで、押しつけがましいほど爽やかそうな少年が。
ソイツ・・・、七三一号は、この場所にごく自然に馴染む独り言を漏らしていたかと思うと、向けたこちらの視線にすぐに気づいたらしくいきなり漏らしていた独り言を止め、視線をしっかり絡めて尋ねてきたのだ。「ねぇ、ダンって呼んでいい?」と。
「・・・べつに、いいけど、どうでも」
「どうでもって言い方はないと思うけど・・・、じゃあ、ダン、ダンね」
本当に、どうでもいいという気分での肯定に、少しだけ不服を漏らした七三一号は、それでもすぐに気分を持ち直して笑う。笑って、呼びかけてくる。『ダン』と。もう、久しく誰にも呼ばれたことのなかった名を、まるで歌うように連呼する。弾むように連打する。打ち込まれる音は、いつしか名の形を持たなくなるけれど、冷たく硬い石に何度も跳ね返り、どこにも落ち着く事なく跳ね続ける。
落ち着きを、なくしていたのは他の何かや誰かではなく、自分自身だったのかもしれない。しかも、どうやって取り戻したらいいのかが分からない。こんな事、今までなかったのに。落ち着かないなんて、そんな事。いつもは、今までは・・・、自分、だけの世界、予定調和で成り立つ世界なのに。
「それでさ、結局、なに?」
「・・・だから、なにって、なに?」
「いや、さっきさ、言ってたじゃん、崩さないでとかって。それ、何の事?」
「あー・・・、それ・・・」
少々届かない場所まで旅立っていた自分が、七三一号の問いかけで、いつもの場所まで戻ってくるのを感じた。足が地面に着く感触。尤も、ここは石畳だけど。
「それ、ね・・・、壇、なんだよねぇ」戻ってきた自分の口が、溜息に似た言葉を吐き出すのを、溜息が漏れそうになる心境とともに聞いていた。口癖。誰も聞くことがない、でも漏らさずにはいられない口癖。ずっとずっと、不満に思っていること。どうあっても、諦めきれない不満。
漏らせばいっそう積もる不満は、人生初の、聞く相手がいるという状況で明確な形になる。ぼやきではなく、完全なる、呟きに。


「せっかく完璧に作った壇をさ、崩さないでほしいんだよね」