学校の怪談!?

 まだじっとりと汗をかくには早いが、それなりに夜でも暑くなり始めた初夏の中ごろ、楠瀬空(くすのせ そら)は夜中の学校の前で一人突っ立っていた。
 どこにでもいそうな普通の女子高生である彼女が、もし昼に同じく一人で立っていてもそれほど違和感はないが、夜九時を回った学校を目の前にするとどうも頼りなく儚い印象を受けてしまう。
「なんでだれもいないの?」
 ソラは満月の輝く薄暗闇に溶け込み、ぼんやりとした輪郭を示すだけの学校を見つめながら不安げに呟いた。
 夜中の学校は、それだけで不気味な雰囲気を演出する絶好の心霊スポットだ。しかも、聞いた話によるとこの学校には他校と違った独特の怪談があるらしい。もっとも、それを聞かされたのはつい最近だった。

「肝試し?」
「そう、肝試し。今度の土曜だけど、予定空けられる?」
 週半ばの水曜日、昼食を食べ終えたところで友人に話しかけられたのが始まりだった。
「まだ少し早いんじゃない?」
「聞いた事ない? うちの学校はね、結構有名な心霊スポットなの。だからシーズン中じゃ学校でも見回り強化するし、人も集まるから肝試しって雰囲気じゃなくなるのよ」
「ああ、うちの高校の八不思議ってやつね。あの、玄関や窓が全部閉じて開かなくなったりってやつ」
「ふふふ、違うのよ。この怪談には原型があってね、それが変わっていってこうなったってのが本当みたい」
 初耳だった。しかし、友人の口調には真実味があり、ひょっとしたら聞く機会がなかっただけなのかも、という気にさせた。
「その原型はね、けっこう怪談なんかより真実味があんのよ。そう、実際起こったことみたいに、ね」
 意味深な台詞に、ソラは興味をそそられてしまった。ここまで聞いたら、その怪談も知りたくなる。
「それ、初耳。どんな話なの? 聞かせて」
「ふっふっふ……いいわよ」
 手前の空いていた椅子に陣取り、向かい合う形で座った。そして一呼吸おいてから、彼女はゆっくりと話し始めた。
 話は戦時中までさかのぼる。
 第二次世界大戦の最中、学校のあった土地は軍の病院だった。しかしそれは表向きの目的で、本当の目的は人体実験をして、兵隊を強くする薬を作り出すことだったらしい。
 そこに送られてくるのは、大小さまざまな怪我をした兵士や異端者などだが、一律して言える事は軍にとって邪魔な存在がつれてこられたという事だ。
 行われる実験は非人道的な実験ばかりで、一人、また一人と数は減っていったが、一向に成功する兆しすら見えなかった。
 そして、成果が挙げられないまま終戦間際になってようやくこの病院は解体され、実験台になっていた人々や、博士、医者などの人はすべてもとの現場へ戻された。しかし、それで納得しない科学者がいた。
 彼は自分の手がけた研究を完成させるべくそのまま病院跡地に住み着いてひたすら研究を続けた。
 そして、とうとう完成の段階にたどり着いたところで問題が起きた。
 実験台がいなかったのだ。科学者は自分の研究には絶対の自信があり、今すぐにでも実験がしたかったにもかかわらずだ。
 だからその科学者は、自分自身に薬を使って効果を確かめようとした。
「でも……」
「で、でも?」
 ソラは唾を飲み込んだ。すっかりこの場の雰囲気に飲み込まれて、真昼なのに肝試しの前に行う怪談を聞いている気分になっている。
「実験は失敗。その後、その科学者がどうなったのかはわからないけど、そのあと二〇年の間、時々その場所から狂った化け物のような叫び声が聞こえてきたそうよ」
「……なるほど。確かに他の怪談とはぜんぜん違う」
「そうでしょう」
 友人は楽しげに言った。
「ねえ、どうするの? 一応予定は今週の土曜日、夜九時からなんだけどさ。確かバイト無いでしょ」
「どうしようかなぁ……」
 そのとき午後の始業のチャイムが鳴り、同時に先生がクラスに入ってきた。
「あ、じゃあ帰りまでに答え、聞かせてね」
「うん、わかった」

 こうしてソラは、この不気味な夜の学校の前に立つことになったのだが、時間を十五分過ぎた今でも誰も来る気配がない。
 一陣の風が吹いた。もうすぐ雨でも降るのだろうか、涼風は湿気を含んでいる。
こんなことならケータイ持ってくるんだったな、と思った。肝試しの最中に着信があったら興ざめだと言われたので、今日に限って持って来ていなかった。
 学校を眺めてみる。普段とは違った趣があり、なにか漠然とした恐怖が体に沁みこんでくる感じだ。
 もう帰ろうか、そう思って踵を返し学校に背を向けた瞬間……
「きゃああああああああああああああっ!」
 唐突に背後から叫び声が聞こえた。
 突然の出来事にびくりと体を震わせ、恐る恐る振り返る。
 しかし、そこには相変わらず不気味な学校があるだけだった。
 ひょっとして、今の声は先に入った友人の声かもしれない。先に肝試しを始めていて、わたしが来るのを待っていたのかも……。
 そう考えると、こんなところで一人待っているのが馬鹿らしく思えた。
 先にやるなら、ちゃんとわかるようにしてもらわないとなぁ。ま、もし他の人たちなら愛想笑いの一つも浮かべて逃げればいいか。
 気が楽になったところで、ソラは学校に向かって歩き出した。
 都内であるにもかかわらず広いグラウンドと、やたら立派な職員玄関を通り過ぎ、普段自分たちが使っている生徒用玄関から中に入る。予想通り玄関の鍵は開いていて、楽に入ることができた。やはり、誰か中にいるらしい。自分の下駄箱から上履きを取り出し、履き替えた。
『ぎぃやぁぁぁあああああああああああああああああああああああああ!!』
 今度は複数の人の叫び声だ。しかし、今度はさっきより激しい。ある意味不自然なほどだ。
「なんだろう。あんな風に叫ぶなんて……」
 よほど怖いなにかが仕掛けてあるに違いない。半分怖く、半分面白そうだと心の中だけで思った。
 非常灯だけで赤く照らされる廊下は照明としては不十分なので、足元に注意しながら叫び声が聞こえた方向に歩いた。
 この校舎は一棟から三棟までで構成されている。一棟と二棟がL字になるように交差して建てられ、校門から見て正面にある一棟の奥に三棟がある。一棟、二棟には主に教室があり、三棟には家庭科室や美術室などの教室が設置されていた。二棟の横には体育館と室内プールがある。
 今ソラが入った玄関は二棟の中ほどにあり、叫び声は一棟と二棟の交差しているあたりから聞こえた気がした。
 でもどうやって顔をあわせよう。ただ会うだけじゃつまらないし、なんだったら物影から突然飛び出して驚かせてみようかな?
 などと意地の悪いことを考えていると、奥から何人も走ってくる音が聞こえた。
 ソラは柱の影にさっと体を隠し、機会をうかがう。
 やたらとばたばたした足音だ。何人かで走っているのだろうか。無用心だなぁ、見回りだっているかもしれないのに。もっとも、もしいるならさっきの叫び声でばれているだろうが。
 足音がさらに近づくが、なにかおかしい。もし本当に肝試しをしているなら、何人かで一気に走るなんて状況は、決してないはずなんだけど……。
「ねぇ、みんな?」
 耐え切れずに、柱の影からひょいと顔を出す。
「きゃっ!」
 そこで見たモノは、まるで仮装行列かと見間違えるほどのけばけばしい格好をした友人たちだった。
 シーツを被った幽霊、頭にネジが差し込まれたフランケンシュタイン、こんにゃくとスーパーボールを持った血だらけの男、血まみれの紙袋をかぶった何か、どちらかと言うと愛くるしいネコマタなどなど。その数は十名近くにもなり、ソラが聞かされていなかったほかのクラスの生徒までいる。
 それらが必死の形相で、一心不乱に廊下を全速力で走っている。まるでソラの存在に気づいた様子もない。その光景は、どちらかといえば恐怖よりもコミカルささえ感じさせた。それだからこそ、ソラは冷静に状況の判断ができた。
「ねえ、どうしたの?」
 と、最後尾を走るネコマタに駆け寄りつつ話しかけた。そこではじめて彼女はソラの存在に気がつき、振り返る。よくみると、彼女はソラに怪談を教えた友人だった。
「わかんないわよ。わたしだってなにがなんだかっ!」
 そう言って、二本のシッポを揺らしながらネコマタは校舎の闇に溶け込んで言った。ソラはその光景をしばらく見つめていた。そして不意に、まるで本物の妖怪が元いた世界に還っていくかのように感じたのだった。
 しかしどうしたことか、みんなはわたしが来る前から中にいて、しかもお化けやら妖怪やらと仮装をしている。つまり、彼女らはわたしを驚かせるためにこのイベントを企画していたことになる。
「はは……手の込んだいたずら」
 しかし最後の詰めが悪かった。十分ここまで怖かったが、最後の百鬼夜行ならぬ仮装行列で気持ちが落ち着いてしまった。
 しょうがない、わたしもこのまま後を追っかけて、あのお化けたちに「二五点」って言ってやろう。落第点だ。やり直し。補習は明日駅前の喫茶店『涼み屋』でおごり。うん、そうしよう。
 ソラもすぐさまあとを追うことに決めた。みんなは玄関に集まっているだろうと予想し、ゆっくり歩き出す。
 ふと窓の外を眺めてみると、空にはどんよりとした暗雲がたちこめていた。先ほどまで満月がやんわりとあたりを照らしていたが、どうも学校に入ったあたりから天気が変わってしまったらしい。温かみのあった空は寒々と姿を変えてしまっている。
 玄関についても誰もいなかった。念のためたくさんある下駄箱棚を一つ一つ覗くが、やはり誰もいない。
 もう外に出たのだろうか。いくらなんでもあまりに酷い気もした。おごってもらうものに、大好きなジャンボアイスパフェを追加しよう。実はメニューに載っていない隠しメニューだが、バイトで店員をしているわたしは知っている。
 玄関の閉じたガラス戸に手を伸ばし、引っ張る。
 動かない。
 もう少し力を入れて引っ張る。
 やはり動かない。
 おかしい。ああ、そうか、押すんだったっけ。どうやら少しは気が動転していたらしい。思いっきり押す。しかし動かなかった。
 鍵を確認すが、鍵が掛かっているようには見えない。念のためカチャリと半回転させ、他の鍵がないか確かめてから、引っ張る、押す、持ち上げる、回転させる、押し倒す、叩きつける、引っ掻く、合言葉、校歌熱唱――やはり開かない。
 他の扉を調べたが、どれも結果は一緒だった。
「……なに? どうなってるの?」
 次第に不安感が高まっていく。鍵は掛かっていない。でも、開かない。
 ひょっとしたら、これも肝試しの一環かも知れない。恐怖を高まらせ、一回それをといたあと、再び恐怖を高まらせる。効果的だ。でも、ドアに何かがはさんである様子は無いし、いくらなんでもここまでやるのはやりすぎのような気もする。
 ふと、友人の言葉がソラの頭をよぎった。
 わかんないわよ。わたしだってなにがなんだかっ!
 まさか、と頭が必死になって否定するが、目の前で現実に扉は開かない。冷や汗が額から首筋まで流れ落ち、不快な涼を与えた。
 自分で言ったはずの八不思議の一つが、頭の中でリピートされる。ひょっとしたら、自分は心霊現象の只中にいるのかもしれない。
 がさっ……
 かすかな音に、ソラの体は金縛りにあったかのように硬直した。
 神経が高ぶっているため、今のソラはどんな小さな音でも聞こえてしまう。本人が望む望まないに関わらず。
 恐る恐る振り返ると、そこには長身の男が立っていた。
 足……ついている。手にはうちの学校の指定カバン。服もちゃんと着ている。しかもこの制服はうちの学校のものだ。変質者の類ではないらしい。校章下についている青いラインから判断すると、どうやら高校三年のようだ。
「……だれ?」
「三年七組出席番号五番、輝月驟雨(きづき しゅう)」
 あっさり答えられ、少々脱力した。しかし、今はそんなことより気になることがある。
「……あんた、生きてる?」
 この質問に、シュウと名乗った男は少し困惑した。何故、この女はこんなことを聞くのだ、と。
「生きているとおもう。しかし、その質問の意図はなんだ?」
「いやぁ、なんか今日は日が悪いみたいで、いろいろあるのよ」
 いろいろと言うほど何か起こっているわけではないが、鍵が掛かっていないのに戸が開かないという事態が起きているのは事実だ。
しかし、シュウがここにいるということはどこかに開いている扉があるに違いない。一瞬でも、八不思議の世界に取り残されたのかと焦った自分が馬鹿らしい。
 シュウはそれを聞いて少し黙考したあと、少し焦ったように口を開いた。
「まさか、ここもドアが開かないのか?」
「そうそう、そうなの……ここも?」
「ああ、そうだ。一棟の玄関と窓は全て開かなかった」
 一瞬、時が止まったような気さえした。
 ここのドアは開かない。一棟は窓も開かない。ここから導き出される結論は一つ。
 すなわち、いたずらではない。運動系の部活は七時近くまで練習する事もざらなので、昼に仕掛けるのは現実的じゃないし、そこから九時までの間になにか細工をしてドアや窓を固定しつくすなど不可能。
 じゃあ、何でドアが開かず、友人たちはあんなに慌ててなにかから逃げるように走っていたのか。
 これも、ある意味答えは一つしかない気がする。先ほどから否定したかった、頭の片隅に残る最後の選択肢。
「あんた、幽霊とかお化けとか信じる?」
「信じたくは無いな。しかし、こうなってしまうと……」
 つまり、こういうことだ。
 自分たちは超常的ななにかの存在、つまりお化けや幽霊に閉じ込められたらしい。
「はは、信じらんない。どうなってんのよ、この状況は」
「どうもこうも、適応するしかないだろうな、この場合は」
 それはそうだが、ソラにはどうしても納得できなかった。月並みだが、この科学全盛の世で、月に人が足を踏み出すこの世の中で、何で幽霊なのか。これじゃ強盗や殺人鬼のほうがまだ説得力がある。
 そしてもう一つ、どうしても納得できない事があった。
「あんた、ホントに生きてる? こういう場合、最初に出会った人は幽霊少年だった、なんてことがあるかもしれないし」
 シュウをじっと睨みつけ、ぺたぺたと体中に触れる。
「俺からすれば、お前のほうがよっぽど怪しい存在だ」
 その手をうっとうしそうに払い除けながら、反論する。
「なによ、わたしのほうが幽霊だっての?」
「どうでもいいさ」
 そう言って、ドアを開こうと手を伸ばした。
 手始めに、引っ張る、押す、持ち上げる、回転させる……。
「それ、わたしがやった」
「では」
 手話、手旗信号、モールス信号、ジェスチャー。どれも効果なし。
「やはりだめか」
「って言うより何の意味もない気がするんだけど」
 あきれたようにソラは呟いた。自分も似たような事をしていたことは、すっかり棚に上げている。
 その顔からは幾分か緊張がなくなっていた。誰かと話ができるのが、こんなに心強いとは思っていなかった。
「こうなったら強行突破だ。ガラスをぶち抜いて、外に出る」
 カバンをまさぐり、分厚い辞書を取り出した。広辞苑並みの巨大辞書だ。
 ソラが止める間も無く、シュウは力いっぱい辞書を投げつける。ソラは反射的に目をつむった。
 ごつん、と硬くて重たいものがぶつかり合うとき独特の音がした。ついでガラスの破砕音が――
「……!」
 ン十万もする高価なガラスの最後の断末魔が――
「……?」
 一向に聞こえてこない。唯一の音が、ぶつかったときから響いている何かが共振するような音だけだ。
「信じられない」
「なにが」
 呆然と窓を眺めていたシュウが、絶望的な声を出す。ソラが目を開き、最初に見たものは足元に転がっている辞書だった。
「なんだ、随分頑丈なのね」
「違うぞ。これだけの重さのものをぶつけられて、ヒビ一つ入らないガラスなんて防弾ガラスぐらいのものだ」
「つまりこのガラスぐらいじゃ、今壊れたはずだってこと?」
 シュウが首を縦に振る。ガラスが共振している音がさらに高くなった。まるで音叉だ。
 ソラは考えなしに、この耳障りな音を止めようとガラスに手を触れる。その瞬間、音はぴたりとやんだ。
「で、どうする? もう一回試すの?」
 何故か顔面に汗を浮かべているシュウに聞いた。気分でも悪いのだろうか、かすかに震えている気もする。
「どうしたの?」
「試す必要はないと思うな。君も俺も、おそらくもうここには来られないだろう」
「ちょっと、なによそれ。あんたはなにが言いたい……」
 手に何か毛むくじゃらのモノが触れた。しかも、ふさふさもこもこしていない。どちらかといえば針のような手触りだ。
 いやな予感がする。この手を引っ込めて、ダッシュで逃げたい衝動が襲う。
「シュウ、あんた、手についてるのが何か見えてるんでしょう? なにがついてるの」
 虚空に向かってソラが語りかける。暗がりに見える人影は無く、足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
 ……あいつ、逃げやがった……
「こらーっ、もどってこいっ! か弱い女の子をこんな得体の知れないモノと一緒にするな! 裏切り者ぉー!」
 別に裏切ったわけではないのだが、この状況で一人置いて逃げられたソラからは、そう見えて当然だった。
でぇい、こんなものっ! とばかりに、ソラは手についている何かを地面に叩き付けた。
 何かが手から離れる感触と、べちっと地面にぶつかる音。その瞬間、それと視線がぶつかる。

 にたり。

 いま、たしかに地面に叩き付けたそれは、不気味に笑った。
 八本の足、毒々しい色、それに似合わない大きな顔。
 一昔前、人面犬が流行った事があるというが、人面蜘蛛など誰が見たことがあるだろうか。おそらく、自分が初めてだろう
五〇センチ強もある巨大な人面蜘蛛が、じりじりと、にたにた笑いながらにじり寄ってくる。足がすくんで動かない。
 あと数センチというところで、体つきに合わない大きな口を開けた。
「……ッ」
 叫ぶ声でさえ飲み込んでしまい、声にならない。
 気が遠くなる。ああ、いやだなぁ、こんな情けない人生の幕切れなんて。
「こっちだ」
 ぐい、と手を引っ張られ、ソラはその場を脱出した。突然の出来事に頭がついていかないが、すくんでいた足はなんとか言う事を聞いてくれた。
 疲れてソラが座り込むまで約二分。いきなりの全速力無酸素運動に体が悲鳴を上げている。肩で息をするソラの横に、腰を下ろして体を落ち着けた。
「お礼、は言わない、わよ」
 呼吸を整えながらソラは言った。
「無理も無い」
 非難混じりの視線を涼しげに流し、シュウは走ってきた廊下に視線をやった。
「何できたのよ。逃げたんでしょ」
「気が変わった。一人で何とかなると思っていたが、どうも無理らしい」
 人面蜘蛛がついてきていないことを確認すると、シュウは立ち上がった。
 勢いに任せて、どうやら二棟二階まで来てしまったらしい。階段を上ったことすら忘れてしまっていた。
 一方ソラは、気が変わったということは、本当は見捨てるつもりだったわけ? と文句を言ってやろうとして、気が変わった原因が気になった。
「無理ってどういうことよ」
「外を見ればわかる」
 やはり開いてくれない窓ガラスから外を見ると、そこはまさに別世界だった。
 ビルの奥に見える空は赤紫色で、学校の真上では頻繁に雷が横滑りするように奔っている。
「どこなの、ここ」
「学校だ」
 休息は十分とっただろう、と無言で合図をし、シュウは立ち上がり目の前の扉に手をつけた。
「どうする気よ」
「決まっているだろう。一棟は調べつくしたから、今度は二棟の番だ」

「そういえば、聞いてなかったな」
「なに? 変な事だったら張り倒すわよ」
「名前だ」
「ああ、楠瀬空よ」
 二人は、三階の教室を一部屋ずつ丁寧に調べていた。
 机を漁って、何か使えるものが無いか調べる。しかし、何とか使えそうなものは、水が残った水筒とカッターナイフくらいだ。
「まったく、何でわたしがこんな目に会わなくちゃならないのよ」
「ぼやくな。俺も同じだ」
 いや、シュウにはわかっていた。これはぼやきではなく、話していたほうが不安を紛らわせる事が出来るからだということを。
「ここにはもう何もないな」
「じゃあ、いきましょうか」
 扉を開き、廊下に出る。そこには、薄桃色の看護服を着た、看護婦さんがカルテを持って立っていた。たれ目気味の大きな目で、髪はつややかな腰まで届く黒髪。見ているだけで癒されそうな風貌だった。
 にこりと微笑みかけられ、思わず愛想笑いを返すと同時に、ソラは扉を勢いよく閉じた。癒しには程遠い表情で。
「やっぱり、っていうかなんていうか、人面蜘蛛だけで終りじゃないのね」
 扉を押さえるように背を向けて立ち、ため息とともに呟く。
「どうもこの高校は、妙な霊が集まってくるみたいだな。何故校舎内で看護婦に出くわすんだ」
「知らないの? ここは昔、軍の病院だったらしいわよ。危ない病院だったらしいけど、看護婦の一人や二人いるでしょう」
 そんな昔の霊が、何故薄桃色の看護服を着ているのかはこの際たいした問題ではなかった。
 どうしよう、外に幽霊、教室は行き止まり、得体の知れない変な男と二人きり、家に帰ってテレビ見てジュース飲んでシャワー浴びて寝たい、まさに習ったばかりの四面楚歌だ。
 ……少し違うか。
「ねえ、あんな看護婦さんくらい無視していかない? それともやっつけるとか。なんか弱そうだよ」
 ソラは「これぞ名案!」と一人納得していた。しかし、シュウの顔は明るくならない。
「それも最後の案だが、聞いた事無いか? 口裂け女」
 何事かを考えていたシュウが、開口一番に言った事はそれだった。当然、それぐらいならソラも知っている。というより知らない日本人のほうが少ないだろう。
「それがなによ」
「今回はちょっと違うが、見た目普通の女でも、どれほど本性が恐ろしいかわからないということだ」
 そう言われてみればそうだ。人は見かけで判断すると、後でとんでもない目にあう。
「じゃ、どうすんのよ。そこまで言ったんだから、なにか代案があるんでしょうね」
 シュウは目を閉じ、しばらく黙考する。そして、
「強行突破だ」
 口を開いたとたんこれだった。ソラは早足でシュウに近づき、耳を引っ張った。
「それのどこが、わたしの案と、違うのか、言って、みなさい?」
「しかし、楠瀬が言った意見以外に方法が無いのも事実だし、仕方ない気が……痛い、やめてくれ……」
 ひとしきり耳を引っ張り終わった後、作戦がソラから一方的に立てられた。まずシュウが看護婦の気を引き、その隙に後ろのドアからソラが脱出する。そして時を見てシュウがダッシュで看護婦を振り切る、というものだった。ソラはほぼノーリスク、シュウだけ危険な作戦だ。
「うまくやってよ」
「…………」
 理不尽な作戦だったが、意を決してシュウが扉を開く。
 看護婦がいない?
 先ほどまでいたドアの前には居なかった。
 しかたなくシュウは身を乗り出して辺りを見ると、いた、少し離れた廊下の隅でうずくまっている。
 後ろを見るとソラが、『行け!』とジェスチャーで言っていた。いくらなんでも酷い扱いだが、不服そうな顔をしただけでシュウは廊下に出た。
 近づいて初めてわかったが、どうやらこの看護婦は泣いているらしい。小さくすすり泣く声と、嗚咽が混じっている。
「どうしたんですか?」
 強張った表情でシュウが質問する。後ろで「敬語しゃべれるんだ」と、感心した声が聞こえたが、あえて無視する。
 話しかけられた看護婦は、涙を拭こうとハンカチを取り出そうとして、焦っていたらしくハンカチを廊下に落としてしまい、おろおろしながら慌てふためいていた。
 人間くさすぎる。超天然だ。それがシュウのこの幽霊看護婦に対する第一印象だった。もしこんな幽霊だらけなら、おそらく四谷怪談などの怪談話は、軒並み小噺になっていただろう。
「す、すいません、すいません。私、いつもこんなで、もう三年以上看護婦してるんですけど……」
 何故か知らないが、突然謝られた。しかも、どう見ても彼女は一〇代半ばで、とても三年間も看護婦をしているようには見えない。
「さっきも回診しようとしたら、病室の患者さんに思いっきり扉閉められちゃって、私びっくりして、泣いちゃって……」
「そうですか」
 泣いてる理由は、どうやらソラにあるらしい。そして彼女の中では、まだここは病院になっている。
「そうなんです。だめですよね、私って」
 片手を頭に乗せ、照れくさそうに舌を出した。
「でも私、小さいときに本で読んだナイチンゲールの話が忘れられなくて、看護婦になったんです。まだ道は長いですけど」
「そうですか、がんばってください」
 それだけ言って廊下の奥を見ると、一棟との連絡路から顔を出し、両手で大きな丸を作っているソラの姿が見えた。
 頃合だ、といわんばかりに早足でその場を離れようとする。しかし、二歩進んだところで服に違和感を覚えた。
 服をつかまれている。両手で。しかも懇願するかのように顔を覗き込まれている。
「始めて出会った方にこんなことをお願いするのは悪いことだと思うんですけど」
「そうか。じゃあやめてくれ」
「私、どうしても怪我をしている人を前にするとあがってしまって……」
 だめだ、聞いてない。
「だから一度、一度でいいですから練習させていただけると嬉しいんです」
 そう言いつつ、もうすでに引っ張っている。やばい、この先に有るのは理科室だ。使い方もわからないような大量の薬品やら、今まで何百ものカエルをさばいてきた歴戦のメスやらが大量に眠る、あの理科室だ。
「あ、あのですね……」
「お願いします。あなたなら私のお願い、聞いてくれると思って。聞いてくれたら私……あっ!」
 限界だった。早く逃げないと薬で眠らされたうえに、カエルの解剖みたいに一つ一つバラバラにされてしまう。
 そんなの、少し想像するだけでも――これが肝臓で、こっちが脾臓……あ、間違ってた。あははは――あの天然幽霊看護婦なら笑顔でやりかねん。
「俺は用事があるので!」
「酷い! やっぱり私、看護婦に向いてないんだぁ〜」
 語尾がこもった声になっていく。シュウはいやな予感を引きずりながら、長身長足を活かした学年トップクラスの走りで逃げ出そうとする。
「赦さないわよぉ。にぃ〜がぁ〜さぁ〜なぁ〜いぃぃぃ」
 圧倒的な迫力の声が背後から聞こえてくる。しかも、付かず離れずの距離を維持しているようだ。
「まぁぁぁてぇぇぇ……」
 地の底から響いてくるような声。さらに迫力が一回り大きくなり、周囲の空気がシュウに重圧をかけてくる。
 ちらりと後ろを振り向く。すると、優しくておっとりしていた容姿の看護婦はすでになく、顔面の半分がまるで硫酸でもかけられたように焼け爛れ、鬼神のごとき形相ですべるように追ってくる看護婦がそこにはいた。
「ちょっと、どうしたの?」
 のんびりと連絡路で待っていたソラが、ただならぬ様子を感じ取り、顔を出してくる。
「楠瀬! 走れ!」
「え? 何? ひ、きゃぁぁぁぁぁぁっ?」
 もはや化け物といって差し支えなくなった看護婦を目の当たりにし、再び二人で全力疾走するはめになった。

 何とか看護婦を振り切り、二棟全ての部屋や窓を調べ終わったときには、午後一一時半過ぎだった。閉じ込められてからおおよそ二時間が経過している。
 しかし、一向に外に出られる気配がない。しかも、幽霊はそんなことお構い無しに次々と襲いかかってくる。
 人面蜘蛛、幽霊看護婦を始めとし、オーソドックスな火の玉から、情熱的にフラメンコを踊り狂う霊まで、まるで見本市のように多種多彩な霊が出てきた。
 しまいには、カエルの合唱を輪唱で歌うホルマリン漬けのカエルまで現れた。理科室には鍵がかかっていたが、霊にはそんなこと関係ないらしい。ちなみにカエルの輪唱は、ソラの「何でカエルの合唱を輪唱で歌うのかしら」という突っ込みとともに消えてしまった。
 今二人は、二階にある一棟と三棟をつなぐ連絡路を歩いていた。この通路だけやたら広く作られているため、よく演劇部の準レギュラーがここで練習をしている。
「それにしても、ちょっと長すぎるんじゃないの?」
「ああ、異常だな」
 もうすでにこの通路を五分は歩いている。歩いている感触はあるし、周りの様子もたしかに変わっているのに、どうしても三棟にたどり着けない。
「これって、やっぱりまたなのかな」
 ソラの質問に、シュウは無言でうなずき返す。
「少し休もう。このままじゃ埒があかない」
 実際見えない幽霊のいたずらなら対処しようがない。それで無駄な体力を使うのも馬鹿らしい。
 シュウは壁を背にして視界を確保し、腰を下ろす。幽霊に対してどれだけの効果があるかは疑問だったが、するとしないでは心持ちがだいぶ違う。
 ソラも同じように腰を落ち着けた。
 静かだった。このあたりは比較的交通量が多めなのだが、学校に閉じ込められてから周囲の音が一切聞こえない。せいぜい自分たちの足音と、ラップ音や怪音だけだ。まるで世界はこの学校を残して滅んでしまったかのような錯覚を覚える。
 二人とも押し黙ったまま、口を開こうとしない。肉体的な疲労より、精神的な疲労がピークに達しているためだ。
 座ってから数分がたち、先に沈黙を破ったのはソラだった。
「シュウはなんで今日学校にいたの」
「……やる事があった、それだけだ。そっちこそ、何故だ?」
「わたし? わたしは、季節外れの肝試しをしてたの。友達も来てたんだけど、先に逃げられちゃってね、置いてきぼりだよ」
 ソラが乾いた笑いを浮かべる。しかし、恨んでいるとかそういったニュアンスは感じられない。
 ソラはこのときだけ、周囲に幽霊が闊歩している事実を忘れていた。
 恋愛とは違う、同じ修羅場をくぐっているもの同士の連帯感が、安心感を与えていた。居心地のいい場所が新しくできた、そんな感じだ。
 再び辺りが静寂に包まれる。
 いや、違う。何か聞こえる。この音、今まで聞いた事がない音だ。なんだろう。
 ソラの耳が何かの音を捉えた。低くてかすかな音だが、どこか引っかかる。
 音はどうやら、天井から聞こえてきているようだ。ソラが睨むようにじっと天井を見ていると、一部が赤く光ったように見えた。
「シュウ、ちょっと」
「なんだ」
 この状況を打破するために、あの瞬間に見えた赤い光はとても重要な気がした。そう考えたら、まずは行動あるのみだ。
「少し向こうまで歩いてみて。何とかなるかも」
 向かって左側、三棟を指差す。シュウは何も反論せず、頷いて歩き始めた。しかし、その姿はすぐに蜃気楼のようにかすんで、見えなくなった。
 上手くいったら向こうにいけるかもしれない。上手くいってよ。
 祈るようにソラが天井を見ていると、再び同じ場所に赤い点が現れた。まるでそれは、獰猛な肉食獣が獲物を狙って瞳を輝かせているようにも見える。
「いまだっ!」
 あらかじめ手に構えていた、水の入った水筒のコップを思いっきり赤い目に向かって投げつけた。
 水は魔を祓うか、呼び寄せる効果があるという。できれば前者の効果が強いように願った。
 ビシャリと赤い点を中心に水がかかる。すると、赤い目は数回明滅を繰り返した後、完全に沈黙した。
 数秒ほどたち、シュウが先ほど蜃気楼のように消えた地点から足踏みしながら現れた。
「……どうなった」
 不思議そうに周囲を見渡すシュウに、ソラはブイサインと笑顔だけで返事をした。どうやら、幻影か何かを見せられていたらしい。
「やれやれ、わたしがあの時音を聞き逃したら、ひょっとしたら明日までここから出られなかったかもね」
「そうだな。感謝するぞ」
 しかし、よくあんな小さな音を聞き逃さなかったものだ。と、シュウは世辞抜きで感心した。
「じゃあ行くか。後残すは三棟のみだ」
「まって、靴紐が……」
 いつの間にか上履きの靴紐がほどけている事に気づき、ソラはしゃがみこんだ。そして、何気なく前を見る。
「……?」
 何かがいる。先ほどまで座っていた空間に足らしきものが見える。
 恐々顔を上げる。その様はまるで「面を上げい」とお代官様に言われた町人のようだった。
 そこにいたのは、顔面が半分崩れた旧日本軍らしき兵士だった。残った片目で、恨みがましくソラを見下ろしている。
 手には銃剣。その剣先は、間違いなくソラの頭を狙っていた。
「ひっ!」
 今までの幽霊に対する心理的恐怖ではない、死が自分のすぐそばにあるという現実の恐怖がソラを捉えた。
「死ね……」
 くぐもった男の声と同時に、銃剣が突き下ろされる。あまりに唐突な事に、逃げようがない。
 激しい衝撃がソラを襲った。一瞬息がつまり、視界が反転して真っ白くなった。
 死の瞬間って、こんな感じなんだ。そう思った後、さらにこんなことを考える余裕があることに驚いた。
「楠瀬! ボケッとしないで走れ!」
 見るとシュウがのしかかる様にソラの上にいた。どうやら、銃剣が突き下ろされる瞬間に、ヘッドスライディングをするようにソラを突き飛ばしたらしい。
 上体を起こして見てみると、シュウの足すれすれに剣先が突き刺さっていた。一歩間違えればアキレス腱が切れていた位置だ。
「何考えてるのよ、無茶して!」
 先に立ち上がり、シュウの手を引きながらソラは言った。どうやら幽霊兵士は、廊下に刺さった銃剣を引き抜く事に必死らしい。
「ああでもしないと危なかった」
「それはそうだけど……でも」
「そんなことはどうでもいい。早く行くぞ」
 涼やかにソラの非難を流し、シュウは三棟へと駆け出した。非難半分うれしさ半分の顔で、ソラも後を追う。
 その背後で、やっとのことで兵士は銃剣を引き抜いていた。
「どうする? このままじゃ追いつかれちゃうよ」
「うぅむ。しかしここの棟は特殊な教室ばかりだからな、ほとんどどの部屋に鍵がかかっているぞ。おそらくだが」
「じゃあどうすんのよ! このままあの兵士に殺されろっての?」
「手ならある。賭けだが、ついてきてくれ」
 そういうと、シュウは階段を慌しく二段飛ばしで下って、一階に出た。遅れてソラも降りてくる。
 技術室と家庭科室を通り過ぎ、小さなドアが目の前に迫る。
 このドアは、校舎と体育館とを結ぶ予備の通路になっている。しかし、一棟にあった同じ通路も、二棟にある本通路も開かなかったのに、何故いまさらここの扉で試すのか、ソラには理解できなかった。
 しかしシュウは、その不安を見透かしたかのようにソラにいった。
「言っただろう。賭けだと」
 鍵を開き、横に思い切り力を入れた。
 扉はけたたましい音を立てて横にすべり、やかましく壁にぶつかった。
「開いた。行くぞ」
「ウソ……」
 ソラは信じられないという顔をしたが、シュウにせかされて体育館に走った。
 体育館の扉には普通鍵がかかっているものだが、いともあっさりと開いた。鍵のかけ忘れでもしたのだろう。ずさんな管理だ。
「ソラはドアの死角に隠れていてくれ。俺が何か目立つ行動をするから、気を取られたときに水筒を投げつけろ」
「わかった」
 シュウはドアから一〇メートル離れて立ち、ソラは扉に引っ付くようにして立った。
 程なくして、乱暴に扉が開かれる。
 シュウはわざと気を引くように兵士の目の前から走り去った。それを兵士は追う。
 かかった! シュウは内心ほくそえみ、必勝の笑顔を浮かべた。
「でぇぇぇぇい!」
 ソラが背後から水筒を投げつける。見事頭に当たり、体全体を濡らした。
 ぴたりと兵士の動きが止まる。
「やったか!」
 しかし、シュウが確認のために近寄る直前に、兵士はまた動き出した。
 突然のまったく予想ができない動きに、シュウは銃剣の柄をまともに食らってしまった。
 体が少し浮き上がり、数回転して止まる。
「シュウ! ちょっと大丈夫なの?」
「がぁっぁぁあぁぁ……」
 幽霊兵士のくぐもった声が、さらに酷くなった。笑っているようだ。
 今度はソラに剣先を向け、脅すように左右に揺らす。
 今度もうまく逃げられる保証はないし、シュウも助けられる状況じゃない。非常にまずい状況だ。
 まず幽霊兵士は、念入りにじりじりとソラを体育館の隅に追い詰めていった。無論逃げるための隙をうかがってはいたが、そんな隙など微塵もなかった。そして、数分もかからないうちに隅に追い詰められた。
「い、いや、やめて……」
 後一突きで、自分は死んでしまう。先ほど感じた恐怖が再び襲ってくるが、恐慌に陥らないだけソラは気丈だった。
 しかし、そんなソラを無視するかのように、幽霊兵士はとどめの一突きをくわえた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 こっちだよ

 え?
 ソラは何かに手を引っ張られるような感覚を覚え、一歩そちら側に上体をそらした。
 ぶすりと、もといた壁に深々と銃剣が突き刺さる。間一髪だ。ソラは抜けそうな腰を必死に使って、部屋の隅から突破した。
「そうだ、シュウは……シュウはどこ?」
 先ほど倒れた場所に目線を飛ばす。そこには、ゆらりと立ち上がったシュウがいた。
「キサマ……」
 鈍い音が体育館に響いた。突き刺さっていた銃剣が抜けた音だ。兵士はシュウに向かい、突進を仕掛けた。
 しかしシュウは軽くそれを受け流し、動きを止める。
「キサマ、一体何様のつもりだ?」
 妙に迫力のある口調だ。貫禄があると言ってもいい。
「グゥゥワァァアアァァァァ」
「キサマは……創造主にしてこの絶対の主人である俺に対して――」
 ぐ、と体を引き寄せ、力をためる。
「――手を上げるとは何事だっ!」
 ためた力を爆発させ、幽霊兵士の首を一撃で吹き飛ばした。
 さらに懐から小形の箱を取り出して、スイッチを操作した。
 すると、上空に吹き飛んだ頭部が一瞬七色の光に包まれ、ボン、と爆発した。
「ふん。駄作が」
「シュウ、ちょっと説明してもらえる?」
 満足げに呟いたシュウの肩から、ぬっとソラが声をかけた。
「…………あ」
 シュウは気まずそうに振り返った。

 ひとしきり説明を聞いたソラは、不審げにシュウを見つめていた。
「つまり、今回お化けだと思ってたのは、全部あんたが作った機械だったってこと?」
「ほとんどそうなる」
「扉の鍵もあらかじめ仕掛けをしていて、開かないようにしたのも?」
「もともとは侵入を防ぐための仕掛けだがな」
 悪びれもせず、直立不動で言った。
「しかし、今回は運が悪かった。試作型の人型歩行機械の暴走と、君たちの肝試しが重なったのだから」
「で、わたしと一緒に行動したのは、なるべくお化けに当てて、あの兵士の印象をなるべく減らそうとしたかったから」
「そうだ」
 怒りがふつふつとわいてきた。一時は信頼できる同じ修羅場をくぐってきた仲間だと思っていたのに、実は親玉がこいつだったなんて。
「しかし暴走していたとはいえ、あの歩行機械の性能は、予想をはるかに超えていた」
「他に言う事があるでしょう?」
 押し殺した声で呟く。
「なんだ? あの歩行機械は人類の歩行機械史に残る名作だぞ。一日超の連続行動と、人間に限りなく近い動き。さらに―――」
「違うわよ、この――」
 足に力を込めて、一瞬で跳ね上がらせる。
「大馬鹿ッ!」
 見事に、ソラの足はシュウのテンプルを捕らえた。これ以上ないクリーンヒットだ。
「……なかなか痛いな……まて、カッターは危ない」
「これでも足りないくらいよ! まったく、最後の最後まで幽霊だらけにして! まあ、あれがなきゃ死んでたけど」
 それを聞いて、シュウはきょとんとした顔になった。
「まて、最後とはなんだ?」
「ん? 最後は最後よ。わたしが刺されそうになったとき、助けてくれたあの声……」
 しばらくシュウは考え込み、重苦しく声を絞り出した。
「知らん」
「そんなことないでしょ。たしかにわたしはここで……」
「ないはずだ。俺は体育館に仕掛けを設置した記憶がない」
「は?」
 額に脂汗を浮かべるシュウと、二人無言で顔をあわせた。
「という事は……」
「やはり……」

 くすくすくすくすくす……

 夜はまだ終わりそうになかった。

<おわり>


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