「タイブレイクアワー」
著者:蓮夜崎凪音(にゃぎー)



  −1−


 どの競技においても審判と言う役職は残酷だ。
 一瞬で、起きたことの白黒を全てはっきりさせなければならない。まあ、それが審判の仕事であって審判が審判たる理由なのだが、困るのはその判断によって助かる奴と、そうでない奴がはっきりしてしまうことだ。
「フォルト!」
 緑色の残像がラインの上をなぞった一瞬後、主審が高らかに強く、そう告げた。
 ボールを追っていた俺の体は声を聞いて同時に緩み、強烈なセカンドサーブがワイドにエグイ角度をつけて駆け抜けていった。
「あーぁ………くそう」
 かすかにだが小さく低く、ネットの向こう側からそんな声がした。実際、苦い顔とわずかに動いた口元だけでホントは聞こえなかったかもしれない。けど、相手の児島にそんな苛立ちがあるのはもはや間違いなかった。
 はっきり言って、今のは当事者の俺にもどちらだったか分からなかった。
 入っていたら、なんとか相手に返せてはいただろうがネット脇に詰められて一撃喰らって終わりだっただろう。それくらいの速さと強烈な角度だった。事実、助かった。
「ふぅ」
 一度、大きく、大げさに息をつく。通じているか分からないがほんの少しだけ相手を挑発する意味をこめて。
 テニスは普通、2回打てるサーブのうちセカンドサーブは大体確実に入るよう威力を調節する。でないとダブルフォルトで相手に1点が入ってしまう。
 1セットマッチのタイブレイクでは特に、その1点を失う意味は大きい。
 通常の15−30−40点などというワケの分からない得点システムと違って、タイブレイクの時の得点は分かりやすい。1つ勝てば1点。7点先取でその時2点差がついてれば勝ちだ。6−6になったら、デュースで2点差が付くまで勝敗は決まらない。どちらかと言えば卓球に似ているのでシンプルで分かりやすい。
 分かりやすいのだが、選手と審判は1点の重さと試合の流れの比重が三倍増しだ。たまったものではない。一度流れたら、元に戻すのは、普通のゲームよりも遥かに難しい。
 流れが欲しい。
 主導権を握りたい。
 俺も児島も、考えていることは同じだった。
 だから児島は一気に勝負に出て、外した。
 児島は流れを気にするのに、ある程度のリスクを恐れない。それが怖い。
 だから今も、失うものはないだけだと、何も畏れてないんだろう。
 同じ高校で、同じ部活で同じメニューをこなしてきたのに、なんてメンタリティの差だろう。
 一体、何が違うというのだろう。

『1−0』

 俺の方へボールが二つ飛んできて、それをラケットですくい上げる。一つをポケットにねじ込み、残る一つを睨みつける。
 まっすぐあいつの顔面に飛んでいけ。やつを気絶させろ。それで俺の勝ちだ。
 まあ………半分冗談だけど。
「………どうにか、頼むぜ」
 こんな時にテニスボールに語りかけて気味の悪い奴だ。傍から見ていたら、自分がそう思うだろう。
 児島もそんなこと、思ってんのかな。
 トントン。
 テニスボールで芝生を叩く。小気味のいい音で、相手に再開を知らせる。
 トントン。
 なあ、神様。あんた、なんて残酷なことしてくれたんだよ。
 こんな区民大会1回戦の対戦相手なんて、アイツのほかに何十人もいたじゃないか。
 トン、トン。
 確かに奴が目の前に居ることはこの数ヶ月、ずっと望んでいた。
 けど、でも、本当は叶わないことの方が幸せだったかもしれない。

 深く、息を吸って吐き出す。
 やりたいことは児島と一緒だ。
 流れを引きよせ、主導権を握り、相手より先へ行く。

 児島が構えに入ったのを確認してから俺はボールを頭上に放り投げ、軸足に力を溜めて一瞬、振り被ったラケットに解放した。
 冬の区民大会一回戦、1セットマッチ。
 ゲームカウント6−6、7点先取タイブレーク1−0。
 相手は2年夏の高校総体ベスト16。
 俺が高校3年間の現役時代でただの一度も、文字通り1ゲームすら取れなかった、そんな相手だ。


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