「閉鎖された空間」
著者:MRI



 どうしてこうなったのだろう。
 独り言を呟く少年は窓から外を眺めていた。
 風が彼の細くやわらかい髪をなびかせた。
 気がつけばもう遅かった。進まない時の中、少年は閉じ込められていた。
 どうしたら…少年の思考までも進むことは無い。
「別にいいじゃない」
 部屋の入り口から同年代ぐらいの少女が少年に向けて声をかけた。
「私は君と一緒でいられるならそれで十分」
 少女が甘えるように少年の腕に抱きついた。
「僕は…元に戻りたい」
 少女の声は少年には聞き入れられなかった。
「…」
 少女は黙っている。その沈黙はまるで全てを悟っているかのようだった。
「……」
 少年は止まった思考のまま、少女を見やる。少年は気がついている。
 少女に惚れている。
 でもなにかがおかしい。
 この特別な空間を共有しているから…だから少女に惹かれているのではないだろうか。
 少年の思考はそこから先に進まない。考えたくない。今はただ…
 少女の髪を梳いた。黒く長い髪、抵抗することなく指はするりと抜けた。最近では見なくなった気がする。長く綺麗な黒髪。
「ねぇ、キスして」
 少女が上目遣いに少年にねだる。その仕草は少女のものとは思えない。
 少年は慣れない手つきで少女を包むように抱いた。
 そしてキスを交わす。
 少年の思考を奪う少女の魅力に、少年はなす術を持たなかった。ただただ幼かった―

 どれだけの時が流れただろうか。少年の目の前にどれだけの時間が過ぎていったのだろうか。少年が気がついたときには遅かった。手遅れだった?手段なんて無かった。
 少年は気がつけば自分の姿に驚愕した。
「どうして…嘘だろ…」
 少年は鏡を見ていた。
「止まってたんじゃないの?これ、誰だよ…」
 少年は瞼をこする。そしてもう一度鏡を見やった。
「俺なんだよな…」
 そこには白髪の見え始めた男の姿。その姿はまるで…
「まるでお父さん?ウフッ」
 少女はそこにいる男に話しかける。
「どういうことなんだよ!」
 少年は少女の両腕を掴んで問いただす。
「これは一体何がおきてるんだ」
 少年は自分の動揺を隠そうと声が荒くなるのを必死に抑えている。
「えー、別にいいじゃない。私はそんな姿も大好きよ」
 語尾にハートマークでもついていそうな、場の空気とは合わないその口調。
 少女は少年の腕を強く抱きしめる。
「君は言ったよね、ここは時間の流れが止まっている…なのになんでだよ!」
 少年は自分の体つきも変化していることに気が付いた。
「そうだよ、ここにいればいつまでも同じ時間を生き続けるしかないの。そして私はここに住む住人」
 少女は男の頬に口づけをする。
「それは最初に聞いた。だから初めはここから出れないか考えた、抵抗した!」
「でも、私を選んだ」
 少女はもはや男を弄んでいる。
「そうだ、君と居ることが、ここで生きることの幸せだと思ったんだ」
 少年は少女を離して自分の眼前に向かい合わせた。
「ならいいじゃない」
「良くない。どうしてだ?俺は中学生だよ!なんでこんな白髪が生えて、皺が浮いてきて・・・」
 少年は形容の仕方が思いつかない。
「…もういっかな…」
 少女は男から目をそらした。
「私の餌はここで朽ちるまで私に奉仕するの」
 少女の口調はさっきまでの甘い語りかけとは異なり、冷たい刃のような鋭さを持っていた。
「…?」
「だから生命力の衰えが老いという形で現れてくるの」
「な、何を言ってるんだよ!」
 少年の理解はとうに過ぎている。
「この世界はどうしてこうなったのかは分からない。気がつけば私はここにいた」
 少女は男の手から離れて、ベランダの窓へと歩み寄っていった。
「そして私はこの世界の最高捕食者なの。そしてあなたは私の餌だった」
 少女は窓の鍵を開き、外へと繰り出した。
「ちょっと待てよ!ッ!!」
 少年は少女の後を追おうとしてその場で脚がもたれてこけた。
「どうして…」
 少年は力無く呟く。
「それは私が捕食者であなたは私の餌としてここに迷い込んだ。それだけよ」
 もはや少女の言葉にあの甘美な優しさは存在しない。
「せめて、死に方はあなたの好きにさせてあげるわ」
 少女の慈悲は少年の耳に届いただろうか。するりとベランダの柵を飛び越え、そしてその身を投じた。
「!!!」
 少年はその身を起こしながら少女の後を追った。
 ベランダにはもちろん少女の姿はない。
「待ってくれ!」
 その声はただ虚空をきった。少年はおそるおそる下をのぞき見た。
 そこには―

 少女の遺体は次の日には消えていた。そして少女の存在までも―
「彼女の名前、知らなかった…もう会えないし、知ることも無い…」
 少女の損失は少年に新たな展開を与えた。孤独、老いること以上に今の少年には辛かった。
「僕が餌なら、なんで俺を殺してくれなかったんだ…『死に方』…」
 少女の言葉が妙に気に掛かった。
「死ねるのか?何をやっても元に戻るこの世界で、死ねる?」
 少年の中に新たな矛盾が生まれる。
「あの子は死んだのか?確かにあの時冷たくなるのを実感した」
 まだあの感覚は少年には新しい。
「そして俺の前から消えた…」
 少年は部屋の隅でうずくまって考えた。
「人を殺してみればいいんだ…」
 少年は口にはしたものの、その行動の恐ろしさに口を閉じた。
「やってみよう。もし人が死んで次の日に居なくなれば、それはこの世界から出るヒントになる」
 少年は少し嬉しそうに笑って、再び考える。
「僕は人殺しになる―それが皆には分からなくても」
 少年は久しぶりに外に出た。少年の決断は以外に早かった。
「別に深く考えることは無い。ただ一刺しすれば…」
 少年は人ごみの中で独り言を呟いた。
 そして―
 対象者は同年代くらいの制服を着た女の子。
 後ろから一突き。
 少女は黒く長い黒髪をしていた。まるであの少女のような。

「………」
 少年はぼーっとその場に座り込んだ。
 周りはこの騒動に気がついて何やら騒いでいる。
「変な男に女の子が刺されたぞ!!!」
 男が叫んだ。
「誰か救急車だ!」
 その友人らしき男が叫ぶ。
 そして男達は少年を取り押さえた。
「別に好きにすればいいさ―時間が経てば皆忘れる」
 少年は呟いた。
「何言ってやがんだよ、このオヤジ!?」
 男は少年を見て気味悪がった。
「薬中かなんかだろうさ」
 友人が付け足す。
 暫くして警官が数名やってきて、その場を確保した。
そのすぐ後に救急車が来て少女を搬送していった。
「おい、しっかり歩け!!」
 警官に引きずられるように少年は運ばれパトカーに乗り込みその場を去っていった。

「本日、正午ごろ○○県△△市で薬物中毒の成人男性、安藤正氏が女子中学生を包丁で刺し殺すと言う事件がありました。犯人はその場で取り押さえられ逮捕されましたが少女は救急車に搬送後まもなく亡くなりました」
 テレビからは女性アナウンサーが事件の報道を行っている。
「また犯人は薬物を長年使用していた様子で、警官らが話しかけても会話にならず、『もうすぐ時間が戻る。皆忘れてしまうんだ』と独り言を呟いているとのことです。そのため犯行の動機等は薬物中毒による情緒不安定によるものと判断する模様です」

―少年は、今は窓の無い部屋で変わらぬ時間を過ごしている―




[終]