『神降ろし』


 『神降ろしの儀』というものがある。
 その名の通り、神を降ろす――則ち、神に依り代を与えて現世に降りて頂く、そのための儀式のことだ。
 依り代に選ばれることは最大の栄誉、その者は死ぬまで崇められ続ける。
 衣食住の心配など不要、全ての村人たちの手によって大切に育てられ、世話をされて生きていくのだ。
 
 
 「“生依(イヨリ))様”が亡くなった」
 
 村人たちの間に、その訃報は電光石火の如く知れ渡った。
 
 「大変だ、大変だ」
 「次の生依様は誰じゃ」
 「次の儀はいつか」
 
 大変だ、大変だ。
 村人たちが沸き起こる。
 
 生依様は誰だ。
 誰が生依様に選ばれる。
 私か、お前か。
 それともあそこに住んでる爺さんか。
 もしくは産まれたばかりの赤ん坊か。
 
 「おーい、神さんが生依様をお決めになったぞ」
 
 生依様が決まった。
 神さんは誰をお選びになったのか。
 捜せ、捜せ。
 
 ――逃がすな捜せ。
 
 
 
 今度の生依様は少年だった。
 名をフジという、少年だった。
 親は早くに亡くなった。親が亡ければ見寄も無い。
 ただフジには仲のいい幼なじみがいた。ナエという少女だ。
 
 「ナエ、フジにお別れを言うんだ」
 「フジは生依様に選ばれたから、ナエはもう会えないんだよ」
 
 フジは生依様になるの?
 偉い人になるの?
 皆に大切にされるの?
 お腹いっぱい食べられるの?
 
 生依様は偉い人。
 皆に大切にされる人。
 専用のおうちで。
 専用のお付きさんがいて。
 生きていく上で何の心配もなくなる。
 
 「フジはもう、淋しい思いはしなくなるの?」
 
 親も亡ければ見寄も無い。
 村の中で、ただナエだけが側にいた。
 
 だけどナエは淋しいよ。
 もうフジには会えないんだって。
 
 
 
 『神降ろし』だ。
 神降ろしを始めよう。
 子どもは家でお眠りなさい。
 大人は神殿へお行きなさい。
 村はずれの山奥に、ひっそりと建つ神殿へ。
 
 そこで『神降ろしの儀』を始めよう。
 
 
 
 ナエはやっぱり淋しいよ。
 大人たちに連れて行かれるフジの背中を見送って。
 ナエはひたすら泣いていた。
 
 淋しいよ。
 淋しいよ。
 フジが淋しい思いをしなくなると分かっていても。
 やっぱり淋しくて仕方がないよ。
 
 「お母さん、お母さん。ナエも連れて行って」
 「駄目よ。家でおねんねしていなさい」
 「嫌だ、フジと一緒にいたい」
 「これからはナエの代わりにたくさんの人が、フジの周りにいてくれるわ」
 「でもナエ淋しいの」
 「大丈夫、きっとすぐに忘れるわ」
 
 大人たちは神殿へ。
 ナエもこっそり後を追う。
 音を立てず、息を殺し、ひっそりひっそり後を追う。
 
 
 
 さあ、神降ろしを始めよう。
 神さん神さん、貴方が選んだ生依様を、今ここに用意しました。
 すぐに中身を空にして。
 貴方を迎え入れましょう――。
 
 
 フジの首には縄があった。
 まっさらな白くて綺麗な縄があった。
 ナエの父がその縄を掴み。
 ぎゅっと小さな首を締め上げた。
 
 「やめて!」
 
 お父さん、フジを殺さないで。
 
 ナエが突然現れて、フジにすがりついて泣く。
 戸惑う父の隙をつき、フジは一目散に逃げ出した。
 
 生依様が逃げたぞ。
 神さんがお怒りじゃ。
 誰ぞ代わりに生依様に。
 お待たせすると、神さんの天罰が下ろうぞ。
 ではナエを生依様に。
 おおそうだ、フジといちばん歳が近い。
 神さんも許してくれるだろう。
 
 ナエにしよう。
 ナエを代わりに。
 
 神降ろしの続行だ。
 
 
 父が新たな縄を手に取った。
 呆然とする娘の首にそれを巻く。
 泣き叫ぶ母の声。
 でも家族よりも大切な、村の風習――。
 父は泣きながら腕に力を込めて引く。
 
 
 
 生依様は何不自由なく生きていける。
 生依様は神そのものなのだから。
 人々はかいがいしく世話をする。
 機嫌を損ねぬよう世話をする。
 
 神はきちんと祀らねば、怠る者共を祟ってしまう。
 祟りを恐れる村人たちは、『神降ろしの儀』を続けていく。
 自分よりも、家族よりも、何よりも大切な儀式。
 
 
 誰ぞ、誰ぞ、生依様。
 村の大事な生贄は。



                                           end. 


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