ポケットフレンド
その時ぼくは9歳で、まだ田舎の住宅団地に住んでいた。
当時ぼくにはすごく欲しいものがあった。
それは「ゲームポケット」という携帯ゲーム機で、
無線で通信できたり映像が飛び出して見えたりするような今の最新機種とは程遠い、
画面は白黒でサイズも大きく実際には名前のようにポケットには入りきらないゲーム機だったけど、
9歳のぼくはそんなゲームポケットが欲しくてたまらなかった。
そんな頃のたった2週間ほどの短い春休みが始まったある日、
ぼくは近所に住む同い年のアスカやヨシタカと一緒に団地内にある時計台公園で遊んでいた。
時計台公園は名前の通り大きな時計台がある公園だ。
大人になった今考えると、それほど広い公園ではなかったのだろうが、
当時のぼく達にとって時計台公園は広く、大きく、何より楽しい場所だった。
そんな時計台公園で遊ぶのがぼく達の日課で、その日も3人で虫を捕ったり、かくれんぼや鬼ごっこをして遊んだ。
やがて夕方になると、これまたいつものようにまずアスカのお母さんが「ご飯だからそろそろ帰りなさい」と公園までアスカを迎えに来る。
その次がヨシタカのお母さんなのも順番通り。ひとりで遊ぶのも悪くはないけど、やっぱり長くは続かなくてその日もぼくはヨシタカが居なくなるとすぐ自分も家に帰ることにした。
時計台下の、周りに比べて少し高くなった場所からつながるすべり台を帰る前に一度すべるのがぼくの中の決まりだった。
このつまらない習慣が無かったら、ぼくはあの不思議な体験をすることはなかったのだろう。
階段を上り終えたぼくは、時計台の真下に何かが落ちていることに気がついた。3人で遊んでいた時は無かったように思う。あるいは見落としていただけだろうか。
近づいてよく見ると、ぼくは思わず声をあげてしまった。
ねずみ色で四角い形。液晶画面があっていくつかボタンがついている。
そこに落ちていたのは夢にまで見たあのゲームポケットだった。
ぼくはゲームポケットを手に猛ダッシュで家に帰った。
「お母さん!ゲームポケット拾った!」
玄関の扉を開けると、ただいまも言わずにぼくは靴を脱ぎ捨て、
台所で夕飯の支度をしている母にそう告げた。
その時のぼくの顔は、ずいぶんと輝いていたに違いない。興奮して真っ赤になっていただろう。
僕は拾ったゲームポケットが自分のものになると思っていたのだ。今考えると情けない。
母は最初そんなぼくの剣幕に驚き困惑しているようだったが、事態を把握するとすぐに
「拾ったからってダイのものにはならないの。置き忘れた子が探しているのでしょう?それを盗ったら泥棒よ。すぐに忘れ主を探して返さないと」
とぼくを落ち着かせ、同時に落胆させた。僕は諦めきれずに、精一杯の抵抗を試みた。
「それでもちょっと触るくらい、いいでしょ?」
「少しだけよ、絶対に壊さないようしなさいね」
抵抗は功を成した。ぼくはテーブルに座って手にしたゲームポケットをじっくり眺めた。
母には「触るだけ」と言ったが、ぼくはゲームをプレイするつもりでいた。
しかし、そんな目論見は失敗に終わった。
ゲームポケットの裏をみてみると、そこにはゲームキャラクターのシールが貼ってあるだけで、肝心のカセットが入っていなかったのだ。
次の日は珍しく雨が降った。
父はもちろん母も当時からパートで働いていて、その日ぼくは朝から家にひとりでいた。
長期休み中、特に家に誰もいない平日の日は雨が降ると友達とも遊べず、非常に退屈である。
弟がいるヨシタカを羨ましく思った。
ぼくは暇を持て余しカーペットで横になりながら、結局電源すら入らなかったゲームポケットを手にただぼんやりと眺めていた。
昨日は気がつかなかったが、よく見るとこのゲームポケットは傷だらけだった。
あまりに状態が酷いので、ひょっとしたら電源が入らなかったのは電池の問題ではなくただ単に壊れているのではないかと思った。
そうだとしたら、持主は置き忘れたのではなくて捨てたのかもしれない。
そんなことを考えながら、ぼくは雨の音を数えていた。
いつの間にか眠ってしまったようで、目を覚ますと外は雨が強くなって部屋の中は薄暗かった。
ぼくは明かりをつけようと起き上がると、不自然なことに気がついた。横に転がっていたゲームポケットの画面が光っている。
電源は入らなかったはずと不思議に思って手に取り画面を見ると、何やら文字が浮かんでいる。
『話がしたい。気づいたら声をかけてほしい』
ぼくは目を疑った。あるいはまだ夢をみているのかと意識を頭に集中させたが、目の前の光景は変わらない。
「えっ、なに、これ……?」
ぼくは思わず声を出してしまった後、はっとした。ゲームポケットの画面に映し出された文字は声をかけることを指示している。
瞬時にぼくの頭の中に1週間ほど前に見たホラーアニメが浮かんだ。
その作品では小さな男の子が魔界から来た怪物の甘い誘惑にのせられ、魂を襲われてしまう。
ひょっとしてこの拾ったゲームポケットは、ずっと欲しいと思っていたぼくを狙うために怪物が仕掛けた罠だったんじゃないか。
もしもそうなら、指示通りに声をかけたぼくはどうなってしまうのか。呪われる?魂をとられる?
ぼくは怖くなってゲームポケットから離れた。時計をみると時計は12時を少し過ぎたところ。母が帰ってくるまで3時間近く残っている。ぼくは頭を抱えた。
様子をうかがってしばらく時間が経ったが、魂をとられることは無く少しお腹が空いただけだった。どうやらぼくは助かったらしい。
ひとまず安心したぼくはゲームポケットの画面をもう一度みてみることにした。電灯のスイッチをまだ押していないので部屋の中はまだ暗く、相変わらずゲームポケットの画面は光を放っている。
恐る恐るその画面の中を覗くと、そこにはさっきまでとは違う文章があった。
『怖がらなくても、ぼくは怪物ではないよ』
まるでさっきまでのぼくの一連の行動を近くでみていたような内容だった。思わず周りをキョロキョロと見渡した。
文の書き主はぼくを安心させようとしているようだが、残念ながら自分で名乗る怪物はいない。ぼくはいっそう不信感を強く持った。そして文には続きがあることに気がついた。
『……ユーレイだけど』
ぼくはゲームポケットを投げ出した。
「あのゲームのことだけど、今日貼り紙を時計台のところに貼っておいたから」
夕飯のコロッケを食べながらテーブルの向かい側で母が言った。
ぼくは小さな声で「うん」と答え、おかずの味はそっちのけで昼間のことを思い返していた。
ゲームポケット上の幽霊はその後ヒロトと名乗った。そのヒロトの話によると、彼はぼくと同い年だった1年前の春休みに交通事故で亡くなったという。
つまり生きていれば彼はぼくより学年がひとつ上ということになる。
さらに実際は魂がゲームポケットに宿っているというわけではなく、ゲームポケットはこの世の人間と意思疎通を図るための道具らしい。
ヒロトの霊体はゲームポケットの真上、家の中で言えば天井あたりをフワフワしており、生前と変わらない視覚と聴覚を備えているということだ。
昼間の行動が彼に筒抜けだったのはそのためだった。
それでも、行動範囲は物体としてのゲームポケットに縛られており、ひとりで自由に動けるわけではないらしい。
その点が不思議で、
「なんでゲームポケットと一緒じゃないと動けないの?」
ぼくはそう尋ねると、少し間が空いた後、
『ぼくもわからない。でも、たぶん生きてるときにすごく大事にしてたからかな』
とヒロトは画面上の文字で答えた。
その答えを聞いて(正確には見て)ぼくは彼に少し親近感を覚えた。
「ねえ、死んだらみんなヒロトみたいにこの世界にとどまることができるの?」
ゲームポケットの画面に次々と文字が浮かび上がる。
『それもわからないんだ。なんで死んだぼくが今この世界にいるのか。最初は夢かと思った、車に轢かれたことの方をね。
車のライトがすごいスピードで近づいてきて、ぼくは吹っ飛ばされた。痛みなんて全然なかったよ。
目の前が真っ暗になって、気がついたらぼくは時計台公園にいた。ぼくもよく時計台公園で遊んでいたから、遊んでてつい眠っちゃったのかな、なんて思った。
でも何だか目線が高いんだ。それに体が上手く動かない。下を見下ろすと傷だらけのぼくのゲームポケットがあって、その時にぼくは気づいたんだ。宙を浮いているって。
それでやっとぼくは本当に事故に遭ったんだってことを理解した。ぼくは怖くなって、悲しくなって泣いた。幽霊だって泣けるんだよ。散々泣いて泣き疲れた頃にきみがこのゲームポケットを拾ったんだ。
ゲームポケットが動けばぼくも動けるってこともその時に初めて知った。その後きみに連れられてきみの家で一晩を過ごした。いろんなことを考えたよ。
お母さんのこと、お父さんのこと、友達のこと。それに死んだら人間は本当に幽霊になるんだってこととか。
可笑しいけど、こんな状況でも眠れるんだ。さすがに夢はみれなかったけどね。目が覚めて、改めて自分の死を実感した。あの時は本当に悲しかった。
それまでは心のどこかでこれは何かの間違いだって思ってた。でも目が覚めてもぼくはやっぱり宙に浮いていて、ぼくの声は誰にも届かない。
しばらくしてきみが家にひとりになって、そのころにはぼくも少し落ち着いてきたから失礼だとは思ったけどこの部屋を少し物色した。暇だったからね。
そこでぼくはまた驚いた。この世界ではカレンダーが1年進んでいた。つまりここはぼくが死んでから1年経った世界だったんだ。
ぼくは困惑して、なんとかきみと会話をしたいと思った。そう強く思ったら、ゲームポケットがその通信道具として使えたんだ』
ぼくは淡々と続くヒロトの文を読んで胸が詰まった。彼の立場を自分に置き換えて考えてみるだけで恐ろしさと悲しみで体が震えそうだった。
もしぼくが死んでその実感も湧かないままその1年後の世界に急に飛ばされたりしたら、絶対にぼくはそんな現実に耐えられないだろう。
「ヒロトは、その、これからどうするつもりなの?当然お母さんやお父さんに会いたいよね。住所を教えてくれたらゲームポケットをきみの家に届けるよ」
ぼくはそんなヒロトの力になりたいとおもった。
『ありがとう。でも、やっぱり死んだぼくがこの世界にいちゃいけないと思うんだ。
お母さんやお父さんに会ったら、絶対にこの世界に居続けたくなっちゃうから。ぼくはジョウブツってやつをしなきゃいけないんだ』
「そっか……。ヒロトは強いね。ぼくなら絶対にそんなこと考えられないよ……。でも、ジョウブツってどうすればできるの?何日かすれば自然にできるものなのかな。」
『そうだと良いけど……。でも実はひとつだけ心残りがあるんだ。この世に未練があるとジョウブツできないっていうから。それで迷惑でなければきみにそれを手伝ってほしいんだけど……』
「もちろん手伝うよ!なんでも言って」
ぼくは直ぐに答えた。部屋の中にぼくだけの声が響いてすこしした後、画面にパッと文字があらわれた。
『キーホルダー。本当はこのゲームポケットにパンダのキーホルダーがついてたはずなんだ。それが今は無いでしょ。
たぶん事故に遭った時一緒に飛んでいっちゃたんだと思う。あの時ぼくはゲームポケットを手にしてたから』
夕飯の手作りコロッケは母の自信作だったようで、何も感想を述べず上の空状態で黙々と箸を進めるぼくにその夜母は完全に機嫌を悪くしてしまった。
またゲームポケットを買ってもらう夢から一歩遠ざかったなと心の隅で思いながらも、布団の中で考えるのはヒロトのことだった。
ヒロトによると、事故に遭った場所は時計台公園から40分ほど歩いた場所にある神社の前の道路らしい。
ただ、彼の事故に関する記憶はなぜか曖昧だった。
『不思議なんだ。事故に遭った次の瞬間にぼくはもう1年後のこの世界に飛んできたはずなのに。まるで事故の記憶だけが1年遠回りしてきたみたい。
場所とか夕方だったこととかはなんとなく覚えてるんだけど、事故の日に何をしていたのかは思い出せない。なんで神社にいたのかも。
あの神社にはそれほど行ったことがあるわけでもないのに。ただゲームポケットを持っていたんだからその日もきっと遊んでたんだろうけど』
ゲームポケット上の指示に従い、次の日ぼくは昼過ぎにその神社を訪れた。
神社は他に人はいないようで、シンとしていた。鳥居の向こうには石段が続いていたが、今回の目的はお参りではなかったのでその先には進まず、
ヒロトが事故に遭ったという神社前の道路を歩いた。見通しのいい直線道路で、神社の反対側には田んぼが広がっている。
平日の昼とはいえ何台か車が通ってもよさそうだが、ぼくらがここに来てから1台も車は通らなかった。
「のどか」という言葉がピッタリ合う風景で、ヒロトの話を聞かなければこの場所で交通事故なんて想像すらできないだろう。
「本当にここで事故に遭ったの?」
『うん。それは確かなんだ。ぼくはこの道で事故に遭った。神社から飛び出したんだ』
飛び出し、という言葉は少し意外だった。ぼくはてっきり運転手の不注意による事故だと思っていた。
それまでヒロトと一緒にいたのはほんのわずかな時間だったけれど、そんな短い間でも分かるくらい彼ははしっかりしているように思えた。
だからヒロトが安全の確認もせずに道に飛び出したなんて考えもしなかったのだ。
『思えばすごくバカなことをした。きっと普段からこの道は交通量が少ないから油断してたんだ。
何をそんなに急ぐことがあったんだろう……。それすら今では思い出せない』
画面に映し出される飾り気のない文字からでも、彼の悔しさが感じ取られた。
その後もしばらく道沿いを捜索してみたが、キーホルダーは見つからなかった。
キーボルダーがヒロトやゲームポケットと一緒に時間と空間をワープしなかったのなら、事故は1年前のことなのだから見つからないのは当然だった。
『やっぱり駄目か……。事故の瞬間キーホルダーが離れたなら、もしかして時間だけワープしたんじゃないかって思ったんだけど』
「キーホルダーが残されたんだったら、1年前だもんね……。誰かが拾ったのかもしれない、交番に行ってみようか」
望みはほとんどゼロだと分かっていたけれど、一応ぼくは提案をした。
ヒロトの返事をゲームポケットの画面を見つめながら待っていると、神社の石段を誰かが降りてくる音が聞こえてきた。
振り返って鳥居の奥をみてみると、ぼくと同い年くらいの女の子が歩いていた。ぼくは神社に人がいるとは思っていなかったので驚いた。
彼女は神社の前でもたれかかっているぼくに気づいてもまるでそこに何も存在していないようなそっけない素ぶりで横を通り過ぎようとしたが、
ぼくが手に持っていたゲームポケットを見ると驚いた顔で立ち止まり何かを言おうとした。
ぼくは言葉を待ったが、彼女は何一つ言葉を発することなく再び急ぎ足で歩きだし、この場を去った。
何だろうかと不審に思いながらもヒロトの返事を読もうとすると、画面は真っ暗のままだった。
ぼくは一瞬ヒロトが居なくなってしまったのかと思って焦ったが、その後すぐに文が画面に現れた。
『そうだね、誰かが届けてくれているかもしれない。ちょっと遠くて申し訳ないけど、交番まで頼むよ』
その時目の前の道を初めて車が通っていった。
交番への道中ぼくは昨晩から気になっていたことを思い切って訊いてみた。
「ねえ、訊いていい?なんでそのキーホルダーがそんなに大事なの?」
やはり尋ねるべきではなかったのだろうか、ヒロトの返事には時間がかかった。
『特別な理由がある訳じゃないんだ。ただ、小さな頃からずっと身につけていたものだから。
ゲームポケットを買ってもらう前はランドセルにつけてた。その前は幼稚園のカバンに。だから無くしたと思うとちょっと悲しくて』
「そっか」
ぼくはそれ以上は何も言わなかった。
結局、交番でもキーホルダーは見つからなかった。
団地に着くころには、もう日が暮れ始めていた。
「キーホルダー、見つからなかったね」
『うん……。仕方がないよ、難しいことはわかってたんだ。でも諦めきれなかった。きみには悪いことをしちゃったね。
申し訳ないついでに、もう一つだけお願いしたいことがあるんだけど……」
「え、なに?」
『昨日は断ったんだけど、やっぱりもう一度お母さんに会いたいんだ。家の外の窓から眺めるだけでいい』
正直に言うとぼくは午前中から歩き続けでクタクタだったが、そんなことよりもヒロトの力になりたいという思いの方が何倍も強かった。
「わかった。家はどの辺にあるの?」
ヒロトの家は時計台公園から20分とかからない場所にあったが、団地内ではなく住宅街の中の立派な一軒家だった。
ここにやって来たまではいいが、玄関から訪ねるわけにもいかずぼくの背丈より高い塀を見上げてどうしたものかと途方に暮れていると、ヒロトが助言をくれた。
『家の周りを歩いてくれればいいよ。ぼくは宙に浮いているから、塀の上から窓を眺めることができるんだ」
ヒロトが宙に浮いてることをすっかり忘れていたぼくは不意を突かれた気分だった。
他人の家の周りをウロウロするのも何だか落ち着かないなと思いながら歩いていると、本当に後ろから不意を突かれた。
「ちょっとあんた!なにしてるの?」
心臓が飛び出るかと思った。
ぼくは振り向くと同時に反射的にゲームポケットを持った手を後ろにまわした。
恐る恐る目線を上にあげていくと、つい最近に見た覚えのある赤いスカートと栗色のショートヘアがそこにあった。声の主は神社で会ったあの女の子だった。
「あんた、この辺の子じゃないでしょう?その家になんか用?」
彼女の口調は決して友好的なものではない。さっきまでのぼくは年齢以外完全に不審者だったから当然だが。
「え、えと。ずっと前にここのお兄さんと遊んだことがあって……それで……」
ぼくはとっさに嘘をついたが、家の周囲をうろつく理由にはまるでなっていない。
必死に頭を回らせるも、このパニック状態では解決策は何も浮かばなかった。
「お兄さんって、ヒロトのこと?あんた知らないの?ヒロトなら……死んだわよ」
幸い彼女はそれ以上ぼくについて詮索しなかった。彼女は一体ヒロトととはどういう関係なのだろうかと考えていると
「あたしは隣に住んでるレイナ。ヒロトとは同級生」
と彼女の方から教えてくれたので、ぼくもとりあえず名前を名乗った。
「ぼくはダイっていいます。ひとつ学年が下です。ヒロト君が死んだって本当ですか?」
ヒロトが詳しく覚えていない事故のことについて何か聞けるかもしれないと思って、ぼくはとぼけてみた。
「もう1年も前にね。交通事故よ」
「交通事故……ですか?」
我ながら演技が上手い。人間追い込まれればなんとかなるものである。
「神社から道路に飛び出したのよ。左右の確認もせずにね。そこに車がドーン!バカな奴だったから。……本当にバカだったから」
レイナは「バカ、バカ」と悲しそうな顔で小さく何度もつぶやいていたが、はっとぼくに気がつくと彼女は再び強気に戻った。
「そういうわけで、ヒロトとはもう遊べないわよ?大体もうこんな時間だしね」
「そうですか……」
ぼくにはまだ事故について聞きたいことが沢山あったけれど、これ以上突っ込んでは更に怪しまれると思いここは退くことにした。
「すみません。迷惑かけました。もう遊べないのは残念です……。じゃあ、さようなら」
最後まで演技が崩れないように気をつけながら別れの言葉をいい、ぼくは自分の家まで逃げるように走った。
家に帰ると頃にはすっかり日が暮れていた。
当然母はパートから帰って来ていて、夕飯の支度も終わっていた。
「ダイ、こんな時間まで遊んでたの?」
「うん、まあね」
母の前ではヒロトとの会話はできなかった。
この不思議な現象を母に話しても無駄だとわかっていからだ。拾ったゲームポケットを自分のものにしたいがための作り話だと思われるに違いない。
その日の夕食時にもぼくは食事そっちのけで考え事をしていたので、二夜続けて母を不機嫌にしてしまった。
これ以上続くと「もう食べなくてよろしい!」なんて言われるかも知れない。そんな事態を防ぐためにも、なんとかキーホルダーを見つけ出さなければ。
その後母がトイレに席を立っている間に小さな声でヒロトにレイナのことを尋ねたが、返事は無かった。
ただ単にぼくの声が聞こえなかったのかそれとも答えたくなかったのか、ぼくにはわからなかった。
次の日の朝も父と母は早くから仕事に出掛けて行った。
ぼくはその日アスカやヨシタカと遊ぶ約束をしていて、ヒロトのことが気にかかったものの彼が快諾してくれたので
待ち合わせの時間に時計台公園に行くことにした。ゲームポケットは家に置いていった。
時計台には先日母が言っていた通り、ゲームポケットの持ち主を探す貼り紙が丁寧にビニールをかぶせられて貼ってある。
ぼくは持ち主なんて見つかりっこないんだから、どうせならキーホルダーを探す貼り紙にしてほしいと思いながら2人を待った。
その間ぼくは時計台周りにキーホルダーが落ちていないか探してみた。
もしかしたらぼくが気がつかなかっただけで、ゲームポケットと一緒にキーホルダーもワープしてここに落ちていたのかもしれない。
けれどもやっぱりキーホルダーは見つからなかった。
少ししてヨシタカがやって来て、この貼り紙のことについて触れた。
「あの日ダイが拾ったんだろ?いいなー、今度オレにも遊ばせてくれよ」
「無理だよ、壊れてて電源がつかないんだ」
「なんだよそれ。じゃあこんな貼り紙意味ないじゃん。たぶん前の持ち主ここに捨てたんだぜ」
「そうかもね」
壊れていたことは事実だが、なんとなくあのゲームポケットの秘密は自分だけのものにしたかった。
その後アスカも来て、ぼくらは3人で夕方まで遊んだ。
遊んでいる最中にもヒロトのことが気にかかってあまり集中できなかったが、
そのおかげでぼくはキーホルダーにつながるヒントを得た。
しかし、遊びから帰った夜もぼくの言葉に対してヒロトは返事を返してくれなかった。
キーホルダーの手かがりになるかもしれない案を持ちかけたかったし、誰もいない部屋の中で半日もの間ひとりで彼はなにを考えて過ごしたんだろうかと気になったが、
当の彼がだんまり状態なのでどうしようもない。
母や父の前では隠れているんだと自分を納得させてぼくはその日眠りに就いた。
ゲームポケットを拾って4日目の朝、父と母が仕事に出かけた後ぼくはすぐヒロトに言葉をかけた。
「ねえ、事故があった日神社で友達と一緒に遊んでなかった?」
ぼくは最初今日も彼が返事を返してくれないんじゃないかと不安だったが、そんな心配は画面上の文字がすぐに消し去った。
『友達……。一緒にいたかもしれないし、いなかったかもしれない。本当によく覚えていないんだ』
「そっか……。でも絶対にひとりだったって訳ではないんだね?じゃあ質問は変わるけど、隠し鬼って知ってる?」
『あの、缶けりみたいなやつだよね?たしか鬼になった子が自分で何かをどこかへ隠して、その後に他の逃げ回る子をつかまえていく。
隠したものが缶けりでいう缶の役割で、見つかったらつかまえてた子たちが解放される。見つかる前に全員つかまえたら鬼の勝ちってヤツでしょ』
「そう、それをあの神社でしたことは無いの?」
『少なくとも事故の日以前にはないよ。あの日のことは記憶から抜け落ちているから、なんとも言えないけれど。
つまりきみが言いたいのは、あの日ぼくは友達と隠し鬼をしていて、ぼくが鬼でキーホルダーを神社のどこかに隠して、
友達をつかまえようとしていた時に道路に飛び出したってことでしょ?』
「うん、そうそう!それならヒロトが飛び出した理由も、その時キーホルダーをつけてなかったことも説明できるでしょ?」
ぼくは自分の推理になかなかの自信があった。だからヒロトがあまり乗ってこないことに少しがっかりした。
『その点は説明できるけど、不自然な点があるよ。ぼくは事故に遭った時ゲームポケットを手に持っていたんだ。
確かにぼくは友達と遊ぶ時もゲームポケットを持って行っていたし、隠し鬼をしたこともある。ただ走って遊ぶ時はさすがにいつもどこかに置いていたよ。
それに神社で隠し鬼をするなら、階段を下りて鳥居の外に出るのはルール違反だと思うんだ。ふつうなら神社の境内が範囲だよ』
ヒロトの言い分には説得力があった。冷静に考えればぼくの推理には穴が多すぎて当たっている可能性はかなり低かった。
だけどキーホルダーを探し出すために散々頭を使って出した案だったから、諦めるのは何だか勿体ないという気持ちがあった。毎年短い春休みとはいえさすがにまだ終わらない。
「それでも一応神社の中も探してみようよ」
ヒロトの返事を待たずにぼくは玄関を飛び出した。もちろんゲームポケットを忘れずに。
一度歩いたからだろうか、神社への2度目の道のりは先日よりも短く感じた。
神社はやはりひと気が無く相変わらずシンとして、それこそお化けが出てきそうな雰囲気だった。
ぼくはゲームポケットを持つ手に力を込め、前回立ち寄らなかった鳥居をくぐり石段を上った。
短い参道の先には古びれた拝殿があり、2匹の狛犬がその左右で目を光らせ滅多に訪れない参拝客を見張っている。
石段の下からではわからなかったが、実際にきてみると境内はなかなかの広さだった。隠し鬼をするには十分だろう。
もっとも、これから小さなキーホルダーを探すことを考えたらその範囲はできれば狭くあって欲しかったのだが。
『本当に、この中を探すの?』
「……もちろん!今日こそぼくが見つけてみせるよ!」
天の邪鬼なところがあったぼくは、ヒロトに推理を否定されて俄然気合いが入っていた。
「ヒロトなら、キーホルダーをどこに隠す?」
まずは1番可能性の高そうなところ、ヒロトが思いつく場所を探そうと思った。
『そうだなあ……。賽銭箱の下とかかな』
「わりと普通だね」
ぼくは早速拝殿の賽銭箱に向かった。賽銭箱はすっかり古くなっており、参拝客なんて本当にいるのだろうか、なんていらぬ心配をしてしまう程だった。
バチが当たるんじゃないかと少し不安を覚えながら身を屈めて賽銭箱の下を覗くも、そこには硬貨が1枚落ちているだけで目当てのキーホルダーの姿は無かった。
ぼくはそのまま腕をいっぱいに伸ばして硬貨をつかみ取った後、立ち上がって手に取り眺めながら、こんな神社にも参拝する人が世の中にはいるんだと思った。
拾った5円玉は賽銭箱に投げいれた。100円や500円じゃなかったからという訳では決してない。「ヒロトのキーホルダーが見つかりますように」パンパン。
その後も一日中ぼくは鬼になったつもりで、隠し場所になりそうな所を次々と探しまわった。狛犬の口の中まで覗いたが、やっぱりキーホルダーは見つからなかった。
疲れてくれば自ずと気が短くなる。その上昼食を食べていない。気づけばもうカラスが鳴きはじめていた。
疲労と空腹。そんな時に画面上に浮かぶ無機質な短文は、ぼくをたまらなくいらつかせた。
『そんなところに隠すわけがないよ』
ヒロトに悪気があったはずはない。寧ろ疲れているぼくを気遣ってくれたのだろう。
だが、頭に血が上ったぼくはそんなことを考える間もなく怒鳴っていた。
「誰のためにこんなところをわざわざ探してると思ってるんだよ!?」
ぼくはゲームポケットを地面に投げ捨てると、独り拝殿に向かって走った。後ろでガンッという鈍い音が聞こえた。
またひとつ、傷が増えたな。自分でも不思議なくらい冷静に、そんなことを考えた。
拝殿の下は、最も可能性が有りそうだと思いながらもあえて避けていた場所だった。
クモの巣だらけのその場所は暗くて汚い。もしかしたらヘビだっているかもしれない。入っていくのが躊躇われた。
しかし、今となってはそんなこと言ってはいられない。ぼくはほとんどヤケクソになっていた。何としてもキーホルダーを見つけ出さねば。
そう覚悟を決めるとぼくは拝殿下へもぐっていった。
結論を言うと、そこにもキーホルダーは無かった。
クモの巣の糸が何度も顔に引っ掛かり、服も泥だらけになったけれど、拝殿下から出るときに考えていたのはヒロトとどう仲直りするかということだけだった。
ついさっきまでは、拝殿の下でキーホルダーを見つけて「やっぱりここにあったじゃないか!」と笑いながら話しかけるつもりだった。
だがそんな計画も無残に崩れ落ちた。神社に来て、問題を解決するどころかもうひとつ増やしてしまったのだ。
浮かない気持ちで顔を上げると、さっきゲームポケットを投げ捨てた所から女の子がこっちを見つめていた。レイナだった。
レイナはヒロトのゲームポケットを手に持ったまま、黙ってぼくの方へ歩み寄って来た。
彼女が一歩一歩近づくたびにぼくの心拍数が上がっていくのがわかった。
目の前までたどり着くと、彼女は何も言わずぼくに向かってゲームポケットを差し出した。
ぼくは最初どうしたらいいかわからず、ただうろたえているだけだったが、そっとそれを受け取った。
画面を見るのが怖かった。あんな態度で放り投げたぼくをヒロトはどんな言葉で非難しているだろう。
昔ヨシタカとケンカした時のことを思い出した。そしてそれを実際に見たレイナはどう思っているのだろう。ぼくは恐る恐る画面に目をやった。
しかし、そこにあったのは想像していたような攻撃的な言葉でなければ、いつもの穏やかな文でもなかった。
この数日間ぼくとヒロトをつなげていた液晶画面には文字の代わりに大きなヒビが入り、表情の読み取れないぼくの顔の輪郭だけがただぼんやりと映っていた。
ゲームポケットはヒロトの霊体そのものでは無い。だからそれを壊したからと言ってヒロトを消し去ってしまったという訳ではない。
だが、ゲームポケットはヒロトがこの世と触れるための唯一の手段だった。ある日突然命を失い、幽霊となってしまったヒロトがぼくらに気持ちを伝える唯一の手段。
それをぼくは奪ってしまった。もし、このままヒロトが成仏できなかったら?
ヒロトは誰とも意思疎通を取れない永遠の孤独の世界を漂うのか?
自責の念に駆られるぼくを尻目に、レイナは落ち着いた声でぼくに話しかけた。
「あんた、これを探しているんでしょ?」
彼女はポケットから何かを手に取り、ぼくに開いて見せた。パンダのキーホルダーが、そこにはあった。
「えっ……なん、で?」
ゲームポケットのことを一瞬忘れるくらいぼくは驚いた。
「あたしが持ってたの、これ。あんたこの間からこれを探してたんでしょ?
それとそのゲーム、ヒロトのよね。初めてみた時驚いたわ。バカみたいにそんなキャラクターのシール貼ってるヤツなんて他にいないわよ。どうしてあんたが持ってるの?」
「……」
ぼくは何も言えず、ただ黙っていた。レイナはぼくが答えようとしないのを見てため息をつくと、話を続けた。
「まあ、いいわ。とにかくあんたは何らかの方法でそれを手に入れて、今度はこのキーホルダーを探しているのね?」
「……はい」
ぼくは嘘をついたらいけないような気がして、正直に答えた。
「理由は聞いてもどうせ無駄だってわかってるから聞かない。これ、わたしがいつまでも持っていてもしょうがないからあんたにあげるわ」
レイナはぼくの左手を掴んで、キーホルダーを握らせた。
「この状況が上手くつかめない、って顔してるわね。だったら教えてあげる。ヒロトを殺したのは、あたしよ」
掴まれたままの左手を、ぼくは反射的に振り放した。レイナはそんなぼくの反応をみて少し笑った。
「そんなに警戒しなくても、何もヒロト突き飛ばして殺したって訳じゃないわ。
あれは確かに事故。それは本当よ。ただ、その理由を直接作ったのがあたしだってこと」
ぼくはゲームポケットの上方をぼんやりと見上げた。そこにいるはずのヒロトは、どんな顔をしてこの話を聞いているんだろう。
レイナはぼくに背を向けると、話を続けた。
「あの日、あたしとヒロトは同じクラスの子何人かと一緒にこの神社で遊んでた。
ヒロトは相変わらずそのゲームを持って来てて、やっぱりパンダのキーホルダーをそれにつけてた。
そのキーホルダー、あたしがヒロトにあげたの。あたしたちがまだ幼稚園に通っていた頃の話よ。
100円のガチャガチャで出てきたちゃっちいキーホルダーをあいつは嬉しそうに受け取って、それからずっとカバンやランドセルにつけてたわ。
そう、ずっとランドセルにつけてたなら、あんなことにはならなかったのよね……」
後ろ向きのレイナの肩は小刻みに震えていた。
「夕方遊び終わってみんなで拝殿の所に座ってるとき、ある子がヒロトに何の気なしに言ったの、『ヒロトはそのキーホルダー、昔からずっとつけてるよねって。
適当に誤魔化しとけばいいのに、ヒロトはあたしの方をちょっと見た後正直に笑いながらこう言って返した『レイナから貰ったものだからね』その後は大体わかるでしょ?」
ぼくにもなんとなく想像できる。
「みんなは寄ってたかってあたしとヒロトを冷やかして、最後はへらへらしながら帰って行ったわ。
だけどね、あたしが一番頭にきたのはそんなことじゃないの。大声あげてまで1人必死に否定するするあたしの横で、
何を言われても唯にこにこ笑っているだけのヒロトにたまらなく腹が立ったの。みんなが帰って2人だけになった神社の中であたしはヒロトに怒鳴った。
『なに笑ってんのよ!?大体あんたがこんなもんいつまでもつけてるからこんなことになるんでしょ!?』ってね」
ゲームポケットを投げ捨てた時のことが、頭に浮かんだ。
「その後あいつは少しもうろたえることなく言ったわ。『大切なものを大切にするのは当然だろ?』
あたしはそんなあいつの態度が気に入らなかった。何にも言わずにあいつが持っていたゲームを奪ってそのキーホルダーを抜き取った。
『だったらこんなもん、あたしが捨ててやる!』あたしはそう叫んで石段を駆け下りた。
鳥居を出て、あの道を走っている時に後ろから車のクラクションの音とそれに続いて鈍い大きな音が聞こえたの」
肩の震えが大きくなっている。レイナは泣いていた。気が強く、ぼくより背の高い彼女に涙はひどく似合わなかった。
今度はぼくが歩み寄る番だと思った。しかし、彼女の横に立ってもかけるべき言葉が見つからない。
ヒロトなら、こんな時にどうするんだろう?そんなことをふと考えた時、レイナの肩の震えが止まっていることに気がついた。
横からレイナの顔をそっと覗き見ると、確かに頬には涙が伝っていた。だがその筋をたどった先の目からはもうそれ以上涙が溢れることはなく、ただ大きく見開かれている。
2日前に初めてこの神社で出会って、ぼくの手にゲームポケットを見つけた時の彼女の目だった。
彼女の視線の先の石段を見ると、そこには小柄な男の子が立っていた。
ああ、ヒロトだ。ぼくは実際に彼の顔を見たことは1度も無かったが、すぐにそう思った。
屈託なくほほ笑んだ優しそうなその顔は、ぼくのヒロトに対するイメージとピッタリだった。
常識では考えられないことがぼくらの目の前で起こっている。
あまりに突然のことに驚きを隠せないぼくとレイナの様子を特に気にかけることもなく拝殿に向かって参道を歩きながらヒロトが言った。
「ぼくが居ないと、レイナはすぐに泣くんだから」
優しく、済んだ声だった。
「ど、どうして……?」
レイナよりも先にぼくがヒロトに尋ねた。レイナは固まったままで、まだ目の前の出来事を現実だと受け止められていないようだった。
彼は何も答えないままぼくに向かって右手の人差し指を口の前で立てて見せた。
その後レイナの前まで歩くと、ぼくよりも背の低い彼はヒョイと背伸びをして彼女の頭を優しく掻き撫でた。
「……ごめん」
ヒロトはレイナに向かって一言だけそう言うと、今度はくるりと回って石段の方へ参道を歩きはじめた。
ぼくの横で呆気に取られて動けずにいたレイナがふと我に返り、ヒロトを追って走り出し叫ぶ。
「ちょ、ちょっと待って!」
しかしその時にはもう既にヒロトは短い参道を渡りきり、石段の所にいた。
彼はレイナの声を聞いて振り返るともう一度だけほほ笑み、それから音もなくオレンジ色の夕陽に包まれて消えていった。
ぼくはそんな光景を見て、何故だか安心した。ぼくの仕事は無事に終わった、そう思った。
間に合わなかったレイナはやっと石段までたどり着くとその場で泣き崩れた。
「何が、何が『ごめん』よ!?あんた分かってる?あたしはあんたを死なせちゃったのよ!?
謝るのはこっちじゃない!そうやってあんたはいつもいつも……!そういうとこがあたしは嫌いだったのよ!このバカ!バカ!」
レイナはヒロトが消えてからもずっと石段の上で何度も叫び続けた。
ぼくはそんな彼女をただ黙って見守ることしかできなかった。
あの春休みの不思議な体験の後、10年の間にぼくは3度も引越しをした。
散々探したパンダのキーホルダーはあの後レイナに返した。あれはレイナが持っていなくちゃいけないものだと思ったからだ。
レイナが今どうしているか、ぼくは知らない。だけどヒロトが天国から見守っている以上、不幸になっているはずはない。
ゲームポケットは今でもぼくが持っている。その後当たり前だけど落とし主は見つからず、警察に届けて正式な手続きを踏んだ上でぼくのものになった。
もともと壊れていた上にあの日ぼくがとどめを刺してしまったからそれは最早ガラクタ同然で、母からは何度も捨てるように言われたが、ぼくは決して手放さなかった。
それにしても、ぼくはまんまとヒロトに騙されたものだ。事故の日の記憶がないなんて全くのウソだったんじゃないか。もともときみの心残りはキーホルダーなんかじゃなかったんだろう?
最初から話してくれればよかったのに……。それでもぼくはきみのことを恨んでなんかはいない。もっとも、きみのおかげで普通の人とは少し違った体質になってしまった件については別だけれど。
あの日画面さえ壊れたゲームポケットを通してきみが最期にくれたメッセージはいつまでも忘れない。
知ってるかい?今の携帯ゲーム機は世界中どこにいても無線で通信ができるんだ。ひょっとしたらそっちからも繋がるかもしれない。
まあ、気が向いたら試してみてよ。あの日みたいな暗い雨の日にでも。
4年ぶり(!)に小説を書きました。
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